あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

あんなに必死にやってたのに、これを変えたらあっさり成功して脱力した話

彫金でシルバーを使ってリングを主に作っているのですが、やってみると甲丸でちょっと部厚い感じのリングってすごく可愛いことがわかりました。

ぷっくりが可愛い

また、平角線の槌目リングも分厚い方が可愛いという、単なる私の好みですけど、ちょっとボリュームがあった方が存在感が増していいなと思うようになりました。

そこで、ちょっと厚めの地金を仕入れてリングにし始めたのですが、ちょっと大きめのリングを作ろうとした時、ロウ付けが全然うまくいかず、何度もやり直してやっとロウが隙間に流れたと思ったら、どうしても筋が残ってしまい失敗。

う~ん。

工房で見て貰ったら「もしかしたら火力が足りないのかも」と言われました。

でも、工房でやらせてもらう時も同じのを使っているんですよね。

一番、扱いやすいので色々なところで紹介されています。

それに炎の温度が1300℃になるやつですから、十分なはずなんですよ。

プリンス ガストーチ 炎温度約1300℃ GB-2001

プリンス ガストーチ 炎温度約1300℃ GB-2001

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でも、ガスの充てんが少ないのか、いつも温めている間に炎が小さくなってしまい、やばっ!となってすぐに思い切り充てんするのですが、またすぐ・・・。

炎の強さもいきなりろうそくみたいな火になっちゃって、もしかしたら不良品???

ということで、こっちを注文。

頭しか映ってないですが、ガスボンベ1本つきです。

BBQとかにも使うようなやつですね。

届いてから、ボンベがでかくてびっくり(笑)

この頭の部分をボンベに取り付けてガスを出してボタンを押す・・・

ぶおぉおおお!

「げっ!!」

すごい火が轟音とともに出てまたびっくり(;゚Д゚) ひょえぇぇぇ

少し絞って「こっ、これでいいか」・・・ロウ付け開始

「えっ?」

あの必死さはなんだったのかというくらい、軽~くくっつきました。

_| ̄|○

最初からこっちにすりゃー良かったよ。

でもまぁ、私のテクニックじゃなくて、単純に火力だってわかったら、満足です。

マジで。

カレンシルバーのチャームをリングにくっつけたのですが、かわいい♪

綺麗に磨いて出来上がり・・・。

「わたしが見た未来 完全版」を読んだら、意外と面白かったので紹介します。

最初は馬鹿にしてたんですよ。

・・・ていうか、笑ってたんです。

昔描かれた漫画の表紙に「大災害は2011年3月」と書かれているのが東日本大震災のことだと話題になって、未来予知の漫画じゃないかとか・・・。

スピリチュアルは全否定していない私ですが、有名な事件や有名人を題材にした未来なんてどうにでも書けるし、たまたま書いたのが当たっちゃったとかそんなもんでしょ?って感じで、そんな漫画読んでもねぇ・・・と思っていました。しかも、値段も1000円超えてるし。話としては面白い(災害じゃなくて話題になっているという事実)ので、YouTubeの解説動画とかは面白く観ていました。

ちょっと思ってた内容と違う

でも、様々なところで話題になっていたこともあって、バカげた話は好きな私でもあるので、その漫画のレビューとかを色々読んでみたんです。

すると「内容は、3月11日の予言ではない」という文字が散見し、「夢日記」がどうとかって書いてあって、「私はこんなので予知したのよぉ~!」的なノリかと思っていたら、なんか違いそうな感じで、改めて興味を持ったんです。

それで、遅ればせながらちょっと読んでみようかなと思いました。

確かに全然違ったよ

読んでみると、これが結構興味深い内容でした。

確かに1999年の初版の表紙には、「大災害は2011年3月」と書いてはあっても、実際の漫画の内容は「夢日記をつけている漫画家」である自分の話でした。

正直言って、何年も前にそうだとかいうのはたまたま当たってたでしょ?って言える内容が多く、実際にそうだったのかとかはわからない出来事もあり、にわかに「すごいなぁ」とはならなかったけど、でも、あるかもね的に読める面白い内容でした。

だって、自分の前世は「ある海外の有名人」の「前世の娘」(ややこしい)だったとかいう、とんでもなことも書いてあって、「マジかっ!!」って感じで、希代の嘘つきかストーリーテラーかって感じで、ホラー好きな私にはちょっとたまらない内容だったんです。

(私がホラー好きといっても、この漫画は全然怖くないです)

完全版の意味

再販されたこの漫画、以前と違って「完全版」となっているのですが、何が違うのでしょうか。実は、作者であるたつき諒先生の解説入りなんです。

たつき先生は、漫画家を引退して久しいですし、この漫画、以前はたいして話題にならなかったこともあり、一度は絶版になっていたわけです。

何が発端かはわかりませんが、この漫画(初版は1999年)の表紙に「大災害は2011年3月」と書いてあるのを見つけ、東日本大震災のことではないかと大きく話題になり、たつき先生は当初何も関与していなかったのですが、「にせ者」が現れてインタビューを受けるなどの行為があり、この件に関心のある人々がすっかり騙されてしまったこともあり、なんとかご本人に登場いただきたいと要請したのでしょう。

たつき先生は、重い腰を上げたようです。

その意味では、この再販は貴重かも知れません。

この夢日記などの他は、ホラー漫画っぽいのが収録されています。

彫金やってみたいというあなたに

彫金て、奥が深いというか、やればやるほどまた次の工程が迫ってくる感じで、目標をちゃんと持っていないといつまでも初心者のままな気がします。

まぁ、いつまでもというのは大袈裟ですが、今回、彫金を再開するにあたって、何が作りたいのかをしっかり考えてから行動に移しました。

振り返るのとさらにテクニックを磨くのには、YouTubeはとっても役に立ちました。

ちゃんと最初から振り返ろうと基礎から学べるという動画から必要な部分をしっかりおさらいして、今は指輪ばっかり作っています。

もう少ししたら天然石を使った物も作ろうと思いますが、まずはシンプルなリングをしっかりと作れるように「思い出せ~この感覚♪」って思いながらやってます。とりあえずシルバーの線や板などを使って作るものを作っているので、今後ワックスにもチャレンジしてみたいと思っています。

昔習っていた時は、ワックスは苦手で、あまり好きではなかったのですが、自分のデザインしたものでよりイメージに近いものを作りたい場合は、ワックスが使えないと話にならないんですよね。これはまぁ、後の話ではありますが。

今観ているのは、Estona Metalsmithing & Jewelry Making Tutorialsというチャンネルで、どこの国の人だかよくわかりませんが(名前が難しいのよ)英語なのでなんとかなってます。とにかくわかりやすいので、英語のわかる方はこのチャンネルをお勧めできますね。初心者向けのチュートリアルも0(必要な道具)から始まって1、2・・・と番号順に簡単なテクニックから学んでいけるスタイルの動画もあります。

また、初歩からひとつひとつ学びたいという方は、hum jewelry makingもお勧めです。

こちらは日本人の方がとにかく1歩1歩技術的なことを紹介するチャンネルで、じっくり学びたいという方にはお勧めできます。

ただ、いきなりテクニック的な動画になるので、道具はどんなものがいるかとかそういうものはないので、それは別のチャンネルで探してみてください。

気が向いたら、今度私が使っている道具をご紹介できたらします(できないかもしれません(笑))。

実をいうと接客業って結構好きなんです。

最初に就職した会社が日本人なら誰でも知っているという会社の子会社で、店舗管理だとかいろいろとやっている会社でした。その会社に入ったきっかけが、バイト先(その会社の系列)での働きっぷりが認められて、「今度こういう部署ができて社員募集するからどう?」とお偉いさんにスカウトされたのがきっかけでした。

それで、当時はまだおとなしめの渋谷109に新しい店をオープンするというプロジェクトがあり、コンセプトや仕入れなど、幅広く任せて貰える職場だったので、やりがいはとってもありました。

バイトしている時からそうだったんですけど、実は人と触れ合って成り立つ接客業って結構向いているなと自分でも思っていました。

お客様の好みに合ったものを紹介したり、こういうのが欲しいんだけど、というご要望にどうしたら応えられるかみたいなのも良かったし、それでお客様が喜んでくださるというのが本当に楽しかったです。

なので、正直「天職かも」って思っていたのですが、まさかの上司ふたりの対立に巻き込まれ、どっちにもつかない私は両方からつらく当たられるようになってしまい、嫌気がさして退職という・・・。それからは、もう接客業はいいや・・・というので事務職を探すことにしたのですが、最初は社員という立場で就職する気になれず、その当時増えていた派遣を少しの間やることにしたのです。事務は事務で別に嫌でもなかったので、そこからは会社員として働く人生になったのですが、コンピューター1日いじってどうのっていうのが、実はいまだにつまらないなぁ~という毎日なんですよ。

もちろん、それが合っている人もいると思うので、その仕事自体がどうじゃなくて、私の性格には実際は合っていないんだなというのを実感しているという意味です。

たいして難しいことをやっていないので、出来てしまうということもあり、なんとなくそのまま事務の仕事をしていますが、安い時給の派遣社員で「あじゃみんさん、最高評価をいただけていますよ」なんて言われても、1円の昇給もなし。

自分で好きでやっているので、派遣自体は良いのですが、この先何年生きるかわからないのに、これでいいのか自分!というのが「やっぱりなんかモノづくりしたいし、ネットとはいえ接客業でやっていきたい」というのにつながったんですよね。

石鹸とか売ってた時は、良い物を喜んでくれる人がひとりでもいればというので、儲けとかは考えていなかったし、正直儲けなんてありませんでした。

いいお値段つけていたって言われることもあるのですが、石鹸の売り上げ個数なんて大したことないし、材料にめちゃよいオイルとかを使っていたので、全部トータルで考えると常に赤字。

でも、それは別に良かったんですよ。仕事をしながら好きなことができれば良かったので。

今はちょっと変わって、これから事務職を辞める時も来るでしょうし、一生の仕事って考えるとやっぱり何か作りたいし、それでお金になったら嬉しい♪って思うようになりました。だから、当初の予定をずっと延ばして、本格的にモノづくりを始めてしまったのです。

天然石はすごーく奥が深くて面白いし、彫金は再開したら「もっとこうしたい」という欲が出てきて楽しい毎日です。

私自身があまり奇をてらったものよりは、シンプルなものが好きなので、定番のデザインと少し凝ったものと両方の作品を作っていきたいなと思っています。

9月のシルバーウィークに夏休みを取ったので、そこを制作に充てようと思います。

自宅工房化計画が色々とん挫している部分もあり(パソコン置くところがなくなっちゃうので)、本格工房化ができていないので、その部分もちょっと考えないとなと思っています。今だと道具を出してはしまい、みたいな感じなので、相当に面倒くさくて「明日でいっか」ってなってしまっているのです。

これじゃ、制作進まないやん!ということで、どうにかできないか思案中。

この悩みも楽しいですけどね。

久しぶりだとは思ったけど、7年も経ってるとは思わなかった再会

前職で仲良かった友人ですが、仲が良かったといっても、会社の付き合いの延長で特に趣味や何かが合うとかもなかった人がいて、それでもなんとなく気が合うというか、極たまにご飯を食べに行ったりしていた仲の人がいたんですよ。

彼女も転職し、私も退職し、それぞれ別の道を歩んでいたこともあって、ここ数年は疎遠になっていました。

かなり優秀で仕事ができる人だったので、日本の大手企業に転職して、今もバリバリ仕事をしているようです。

なんとなく「どうしてるかな」と最近思っていたこともあって、メアド変えてないかなぁ~と探してみたら見つかったので、そのメアドにメールを送ってみたら、ちゃんと活きていて、「お~久しぶり~」ってことで「ご飯行こう!」ってなりました。

お勧めの和食屋ということで、うしやまを提案し、9月2日(金)に予約をしました。

当日、うしやまに着いてみると女将さんが「えっ?」とびっくりした顔で「今日・・・ご予約ですか?」と言われてびっくり。

「はい、9月2日」と言ったら、慌ててLINEを確認し、「本当だ!」とすっかり忘れられていたのです。

カウンターでもいいかと聞かれたので、追い出されるよりましだし、別に構わないからいいやと「いいですよ」と言うと、「なんなら個室で」と言われ、最初は「いえいえ」と断ったのですが、その日はカウンター以外満席で結構ガチャガチャした感じだったので、「久しぶりに会う友達なのでじゃぁ、遠慮なく」と本来は有料で5000円かかる個室で食事できることになりました。

却ってラッキー♪

とりあえず大将に確認して食材あったからというのもありますけどね(笑)

いつから会っていなかったのかまで気にしていなかったのですが、彼女が転職した後で1度会ったのは覚えていて、それがなんと2005年というので、うっそ!7年前?!とお互い驚いたということで(笑)

全然変わってないのがちょっとびっくり。

私はすっかりおばちゃんが板についちゃって、ちょっと恥ずかしい思いをしましたよ。

正直、くだらない話で盛り上がっただけでしたけど、それがまた楽しいというか、大いに喋り倒して解散となりました。

先付けは汲み湯葉が優しいお味の海老とオクラを出汁でいただく一皿。

秋の装い前菜。シャインマスカットの白和えが独特の風味。

アワビにきぬかつぎ、大好きなあなご寿司etc.

友人も「美味しい!」を連発して気に入ってくれました。

本マグロに海老にいかのお造り3種。

わさびは本物なので、友人が「安いのと同じ感覚で付けたら鼻が・・・」って鼻つまんでました(笑)でも、マイルドで美味しいわさびですよ。

これぞ秋~!

松茸の土瓶蒸し♪やっぱりうしやまの出汁は美味しいなぁ~。

これは、今月と来月出すって大将が言ってました。

この後、焼き物は鮎だったので割愛。

野菜の煮物に豆腐そぼろ餡。

味がシミシミでやっぱりうまいね。

食事は、海老の頭で取った出汁の味噌汁としらすの飯蒸し。シソと梅干がアクセントになってすごく美味しかった。

デザートは玉蜀黍のムースにバニラアイスをちょっとのせて。

優しい味であと2個くらい食べられそうでした(笑)

(写真は、お凌ぎの手打ち蕎麦と鮎の焼き物を割愛しています)

 

tabelog.com

安倍元総理へのデジタル献花 40.5万人超え(9/27時点)

有志が立ち上げた「安倍元総理への感謝や思いを伝える献花プロジェクト」

地上波や左巻きの新聞は、世界から賞賛されている安倍元総理を貶めるような国民分断を狙う偏った報道ばかり。

本当にそんな人ばかり?という思いがあったのでしょう。

安倍総理を偲ぶサイトを立ち上げ、国葬儀の日までデジタル献花を受け付けるそうです。

少しずつ広がって、今89000405,000人以上の献花が集まっています(重複なし)。

私ももちろん献花しました。

それぞれのメッセージを見ると、本当に安倍さんを偲ぶ声ばかりで、涙が出てきました。

世間はなんだか宗教対政治みたいな間違った方向に行っていますが、ことの本質はそんなことじゃないと思いますけどね。

馬鹿に付き合っていても安倍総理は戻ってこないので、私は素直に冥福を祈ろうと思います。

献花は、無料で名前もニックネームでOK

メッセージは後日、安倍昭恵さんに届けられるそうです。

注:献花できる日が9月30日まで延長されました。

offering-flower.com

 

 

国税庁からのメールなんて、来るわけないのに正直ビビるわ!

確定申告をしているのですが、マイナンバーカードを作っていないので、国税庁のシステムに入力したものを印刷して送るという、時代に乗り遅れたことをしているのですが、いきなりジュエリーショップで使用予定のメールアドレスにこんなメールが届きました。

件名:税務署からのお知らせ【 申告に関するお知らせ】

「・・・・えっ?」

いったい何事かと見てみると、「e-Taxをご利用いただきありがとうございます。
国税に関する申告の参考となる情報について、メッセージボックスに格納しましたので、内容をご確認ください。」と冒頭に書いてあります。

「メッセージボックスってなんや?」

上記の通り、国税庁のe-Taxのページは、自動で計算するために使っているだけで、メールアドレス自体も登録なんてしていません。

確定申告の用紙には、メールアドレスなど書くところはなく、なぜこのメールアドレスに国税庁からメールが来たのかさっぱりわからず。

メールアドレスもinfo※e-tax.nta.go.jp(@部分は変えています)って、本物の国税庁のメアドなんですよ。

検索してみると、国税庁の「「税務署からのお知らせ」等のメールが届いた方へ」というページを見つけました。

そこには、e-Taxでは、メールアドレスを登録している方へ、メッセージボックスに情報が格納された場合や、 暗証番号の再設定のための秘密の質問と答えなどの登録を受け付けた段階で、登録しているメールアドレスあてに 「税務署からのお知らせ」又は「国税庁からのお知らせ」メールを送信しています。と書いてあります。

その例文もありました。

(件名)税務署からのお知らせ(****様)【申告に関するお知らせ】

****様

e-Taxをご利用いただきありがとうございます。
国税に関する申告の参考となる情報について、メッセージボックスに格納しましたので、内容をご確認ください。

e-Taxの利用可能時間内に、以下の手順で確認することができます。

■ パソコンから確認する場合
※ 個人納税者の方が確認するためにはマイナンバーカード等が必要です。
●受付システムをご利用の場合
1 「受付システム ログイン」画面からログインします。
2 「メッセージボックス一覧」から該当のお知らせを選択すると、内容が表示されます。
 ⇒ 受付システムへ ⇒ https://uketsuke.e-tax.nta.go.jp/UF_APP/lnk/loginCtlKakutei

(上記URLはクリックしても安全です)

「ははぁ~ん。これはやっぱり詐欺やった」

まず、登録した覚えがないので偽物なのは間違いないのですが、あまりにもうまく出来ているので、もしかしたら登録したっけ?って一瞬思ってしまっても正直仕方ないレベルです。

では、私に来たメールをご覧ください。

(こちらはクリックしたら危ないので画像にしています)

まず気づいたのは、宛名が書いていません。

国税庁の例文では、「****様」とちゃんと名前が書いてあります。

私に来たメールには宛名はないのです。

また、例文に載っているリンクは、そのURLからちゃんと該当のページが開けましたので、来たメールに書いてあるリンクがそもそも違うのです。

でも、それ以外は一言一句同じなので、登録している人が間違ってクリックしてしまう可能性は大いにありますね。

同じ文面はありませんでしたが、フィッシング対策協議会のページも参考になります。

 

置いてけぼり

さて、こまりんさんの怖い話ならぬ、不思議な話第2弾。

1年生の時の体験からさらに1年経って、またこんなことがありました。

学校の遠足で

これは小学校2年生の遠足の時のことです。
わたしとKちゃんは相変わらず同じクラスで、一緒に過ごしていました。

担任は1年生の時と同じ新任の若い女性教諭でした。

2年生9クラスが9台のバスに乗って、アスレチックが設置されている広い公園のようなところに遠足に出かけました。
お弁当を食べて、写真をとって、自由時間を遊びたおして満喫しました。
そして、まもなく集合時間というのでKちゃんと一緒に集合場所に行ったら、誰もいない。
変だなぁ~とバスの停まってたところに行ってみましたが、あるはずのバスがないのです。
「えっ、なんで?」
わたしとKちゃんはガランとした駐車場所だったところで立ちすくみ、呆然としてしまいました。
園内放送で「〇〇小学校のみなさん、集合時間です。集合場所にいきましょう~」と放送がかかった時は既に集合場所に向かっていたので、そんなに時間に遅れたわけではなかったはずなんです。

なのにわたしとKちゃんが集合場所に着いた時には、帰りのバスは既に出発し、わたしとKちゃんは現地に置いてけぼりにされてしまったのです。
今なら、その時点呼したはずだよねぇ・・・と不思議に思うと思いますが、その時のわたしたちは小学校2年生。
とにかく「置いて行かれた!」ということに呆然として、そんなことは頭に浮かびませんでした。

わたしとKちゃんは手をつないで大泣き。
現地の方がその泣き声を聞きつけて声をかけてくださり、わたしたちが置いて行かれたことを知ると小学校に連絡してくれました。
当時は携帯電話なんてない時代でしたので、出発したバスは学校に向かっていて、引き返してはきませんでした。
施設の事務所で、優しいお姉さんたちに「泣かないで~」とお菓子をもらったり、遊んでもらったりしている間に、教頭先生が自家用車で迎えに来てくれました。
いつも優しい教頭先生は、本当はこの出来事に激高しているにも関わらず、子供の前では「もう大丈夫だからね。忘れられない遠足になっちゃったね~」と笑顔でそう言いました。
でも、その笑顔、ちょっと引きつってましたけど・・・。

そして、わたしたちを車に乗せ、帰る途中でファミレスに立ち寄ってパフェを食べさせてくれて、それぞれを家まで送ってくれました。
置いて行かれた不安などすっかり忘れ、思いがけずパフェをご馳走になって、ふたりは大喜びでした。

あとでクラスメイトに聞いた話だと、バスはそもそも指定席だったのでわたしたちがいないことはすぐにわかったそうです。
隣に座っていた男子生徒が先生に「隣の席の子がいないよ~!」と叫んでいたにも関わらず、なぜか担任の先生がOKを出してバスは出発してしまったとのこと。
思えばこの担任、1年生の時にわたしとKちゃんがいなくなった時も、本当は最後に教室に確認しに来て生徒を引率することになっていたのに「忙しかった」と言って来てくれなかったんですよね。
そして今度は生徒が叫んでいるにも関わらず無視して出発・・・。
なにかが邪魔していたのでしょうか。

1年生の時の出来事を教訓にはしていなかったようですね・・・。
その後に高速のトイレ休憩で、その男子生徒と仲間が泣いて担任と他の先生にも訴えて、初めてふたりがいないことに気が付いたようでした。
担任の女性教諭は、慌てて学校とおいてきた施設に連絡したものの、その時はすでに教頭先生がお迎えに向かっていたそうです。

この置いてけぼり事件、のちにPTAに報告されて大事になりました。
わたしとKちゃんの両親は、別に学校にクレームを入れていなかったようですが、なぜか騒動になってしまったのでした。
1年の時に続き、わたしとKちゃんの不思議な体験でした。

置いてけぼりとは

ここで、このお話とは直接関係ない「置いてけぼり」という言葉について、解説します。この置いてけぼりは、「置行堀(おいてけぼり)」と言って、江戸の本所深川を舞台にした不可思議話の1つで、堀で魚釣りをして帰ろうとすると、掘の中から「おいてけ、おいてけ」と声がして、魚を全部返すまでその声が止まなかったというお話から来ています。落語などでも多く語られたことで、「置いてけぼり」という言葉が有名になったそうで、そこからどう転じたのか、誰かを残して去ってしまう、置き去りにするということにも使われるようになったそうです。

お後がよろしいようで。

やっぱり私は良いもので勝負したいのよ

いやまぁ、誰かと競争する気はまったくないんですけどね。

本格ジュエリーといっても、ブランドの真似しても仕方ないし(真似っていっても盗作って意味じゃなくて、ごてっとした高級感出すとか)、自分自身がゴテゴテしたデザインが好きじゃないので、定番のデザインで普段なにげないおしゃれに使えて、カジュアルにもドレスアップした時にも使えちゃうような、長く使えるものを作りたいわけです。

友達に甲丸のシンプルリングを使用感を見てもらうためにプレゼントしたのですが、厚み1.8mmで幅5㎜ほどのちょっと肉厚な感じの極々シンプルな鏡面ピカピカのリングを試してもらったんです。

本当に普通のリングなのですが、ぷっくりした太めのデザインがかわいいとめちゃめちゃ気に入ってくれました。

いつもぶっちゃけている、ここだけの話。

シルバー950という、全体の95%が純銀の材料にしていて、その加工品なので実をいうと売価は1万超えるんですよ(たぶんもっと)。

それをあげるのは勇気がいりましたが、いつもはっきり意見を言ってくれるし、必要経費だ!と思って清水りました(そんな言葉ないけどw)

つけ心地もばっちりと言ってもらえたので、必死に頑張った甲斐がありましたよ。

ただのシンプルなリングなんですけど、工程は結構かかるんです。

YouTubeとかで簡単に作ってしまっているのが多いのですが、本格的なやつは編集で端折っているので簡単に見えるのですが、磨きの工程がかなり時間がかかります。

鏡面仕上げが好きなので、キラキラと美しい光を出すには何度もの工程がかかるのです。でも、美しい指輪ができた時は満足です。

この調子で、かわいいシンプルリングをどんどん作っていきたいと思います。

なんか、忘れてないか?

だがしかし、私のお店はもともと「天然石」のジュエリーを作って売るというものだったのですよ。

それは、忘れていないのです。

材料が今ひとつ欲しいものがなくて、卸さんを放浪しておりました。

ガーデンクォーツのかわいいのが2個入り、ハーキマーダイヤモンドのAAAクラスのものをゲットしたので、今後指輪やブレスレット、ペンダントなどに加工していこうと思います。

ハーキマーダイヤモンド(Herkimer diamond)は、”ダイヤモンド”と名前についていますが、ニューヨーク州ハーキマー郡で算出される水晶です。

産地が名前の由来ですね。

和名は、ずばりハーキマー水晶(笑)

両サイドがとがったダブルターミネートと呼ばれる形が特徴で、ダイヤモンドの結晶に近い見た目をしています。

硬度も7と、それでガラスを傷つけることができるほどなので、取扱には注意が必要です。

ニューヨークって、名前だけ聞くと大都会をイメージすると思われるのですが、ハーキマー郡は、自然もたくさん残っており、水晶の発掘が今でも行われています。

ニューヨークって、5億年前は海だったそうで、ハーキマーダイヤモンドは、その5億年の地層から発掘されているのだとか。

5億年前・・・生まれてないです(当たり前だろ)。

なんか、ロマンありますよねぇ・・・。

それにハーキマーダイヤモンドの石言葉は、「夢」「才能の開花」「想像力」。

いいですよねぇ~。

高価なのと、実は別の産地の似たような石をこの名前で売っているところも多いので仕入れに躊躇していたのですが、やっぱりこの美しい石を使って何か作りたい!ということで、こちらも清水りました(流行らせようとしてはいない)。色々探して、ちゃんとこのハーキマーダイヤモンドと他のダブルターミネートの水晶を分けているところがあったので、安心して仕入れることができました。

こちらは、スターリングシルバー(Silve 925)を使ってペンダントかブレスレットを作成しようかと思っています。

楽しみにしててねー♪

美しい輝き(画像は仕入れ品ではありません)

 

 

学校の階段

皆様、暑い夏、いかがお過ごしでしょうか。

私はすっかり夏バテ気味で、毎日しんどい感じで仕事をしています。

家では夜ブログを書くくらいしか出来ず、創作の材料を目の前にしてもまったく動けない情けない状態です。

さて、常連の方はお待ちかねのこまりんさんシリーズ。

カテゴリーは、怖い話ですが、今回から数回続くお話は、「不思議な話」です。

※こまりんさんシリーズは、いただいた文章の内容を変えず、プライバシーその他に配慮した形でわたくし、あじゃみんがリライトしたものを掲載しています。

第1回 小学校の階段

先日、夏休みで帰省してきていた小学校時代の幼馴染Kちゃんと久しぶりに会って話をする機会がありました。

私は今、母の介護をしている関係で、実家に寝泊りしています。その地元の自治会の行事があったので出席したところ、偶然Kちゃんと再会。

なつかしさに話も盛り上がりました。

小学校では親友だったKちゃんなので、ふたりの逸話もたくさんあります。

Kちゃんとは、いつも一緒だったのですが、なぜか不思議なことが色々と起きました。

すっかり記憶のかなたでしたが、Kちゃんとの再会で思い出したことがいくつかあるので、そのことをお話ししたいと思います。

***

私とKちゃんは自宅が同じ地区の幼馴染です。小学校1年からずっと同じクラスで仲良し2人組!という感じでした。
登校班こそ違いましたが、それ以外はいつも一緒でした。

ふたりが小学校1年生のとき、夏休みも終わって2学期が始まってわりとすぐに台風がやってきました。

日本の夏の終わりは台風というお決まりのコースでしたが、その日は、ちょうど関東に上陸・・ということで、学校は午後の授業は取りやめて、給食後に登校班ごとに帰宅することになりました。
遠くの地区から先に出発し、わたしは学校から割と近い地区だったので、後の方の出発になりました。
当時は生徒が多く、1学年9クラスありました。

6学年なので教室も多いのは当たり前ですが・・・。
そんな全校生徒が全員、体育館に集まると大変なことになるので、そういった配慮も必要だったのかもしれません。

私もKちゃんも自分の登校班の地区の名前が呼ばれるまで教室に待機していました。
放送がかかると、自分の1年生の教室から体育館に移動して集合し、そこから班長さん達と帰ることになります。
そのため、下駄箱に寄って靴を持っていかなければなりません。

1年生の教室は2階にあり、1階の出入り口の下駄箱に寄って体育館へという流れでしたが、下駄箱から体育館までは、そんなに距離はありませんでした。
放送で地区の名前が呼ばれたときは、すでに他の教室には生徒が残っておらず、台風の風と雨の音が校舎の中に響いていました。

その中でも家が近かったわたしとKちゃんは、最後の最後に班名を呼ばれることになりました。
やっとふたりの班名が呼ばれたので、最後の最後でわたしは、Kちゃんと二人で教室を出発しました。
ちなみに、わたしたちの担任の先生は、初めて担任を持つので張り切っていた若い女性教諭でしたが、このとき体育館で出発する班ごとの点呼や帰宅する道の注意点を生徒たちに説明していて教室にはいませんでした。
子供の頃って、台風になぜかワクワクする気持ちもして、わたしとKちゃんは笑顔で一緒に教室を出ました。

教室を出て、左に数メートル進むと毎日使っている階段、そこを降りると正面に下駄箱があるので、1年生とはいえ、迷うような要素はどこにもありません。

「・・・・えっ!」
「なんで・・・?」

教室を出て左に歩き始めたふたりの前には、ものすごく長く感じる廊下がずーっとまっすぐ続いていて、子供2人には遠くまで続く廊下しか見えていません。

階段がどこにもないのです。

「階段は?」
「どこまで廊下なの?」

変だなぁ~と思いながらも、その廊下以外に通るところはないので、そのまま歩いていきました。その時は気にしていませんでしたが、廊下にはわたしたちふたりしかいなかったのも不思議でした。

本来は、階段までほんの数メートルのことなので、本当に「迷う」という要素などないのです。

「あった!・・・えっ?」

しばらく歩いてやっと階段が目の前に現れたと思ったら、1階に下りるはずの階段の場所は壁になっており、上に上がる階段しかありませんでした。
2人は階段の前で呆然としました。

でも、そこで立っていても仕方がないので、とりあえず上ってみようということになり、Kちゃんと手をつないで恐る恐る階段を上ってみました。

何階分か上がったところで気づいたのですが、その階段、上ってきたのに出る廊下の表示は2階のままなんです。
「なんで?」
この時、1年生の2人はすでに半べそ状態でした。手をつないでいないほうの手で目をこすって涙をふいていました。

しかし、なぜか階段を上らないと・・・という気持ちで上って行きました。

何度か上るうちにそれまでは2階の表示のある廊下に出られたのに、やがて廊下すらない階段のみになりました。

疲れ切った2人は、とうとう力尽きて階段に座り込みました。
いやな感じの汗が流れ、ランドセルを肩から降ろしました。
そして2人で思いっきりワンワンと大泣きしました。

こんなに大声が出るのかというくらいの声で泣いていたので、その声に気づいたのか、バタバタと下から足音がして、先生方が上ってきたのです。

「見つけた!!この2人ですね!!大丈夫か~?けがは~?!」
「どうしたの??こんなところで~!!」
先生たちは口々に言って私たちに安心した笑顔を見せていました。

どうやら、ずっとわたしたちを探していたようでした。
一緒にいた男性の教頭先生は、担任の若い先生に
「最後の生徒さんは教室から体育館まで必ず先生が付き添いをしてくださいと、あれほどお願いしているでしょ!」

と少しきつく言い、担任の先生は、
「すみません、体育館の方が忙しくて、教室に戻れなくて」
と謝っていました。

担任の先生は全身、びしょぬれのうえに涙で化粧も落ちていました。
「生徒がいなくなったら必ず、ここともう1か所を先に確認してください。外を探すのはそのあとですから。」
と教頭先生はすでに経験済のような口調でした。
担任は、「はい、すみません。2人とも、登校班の人たちは先に帰ったから、先生がおうちまで送るね。本当に無事に見つかって良かった・・」と泣きながら優しく抱きしめてくれました。

「先生~!階段がね、なくなってたの~!」
「廊下がずっと続いててね・・ずっと歩いたの」
と言いながら泣きつくとハテナ?という顔をした担任の先生でしたが、
教頭先生は、「君たちがね、あまりにも純粋で可愛かったから、きっと精霊さんが一緒に遊ぼうとしたんだよ」と答えてくれました。
「だからね、もう大丈夫、ちっとも怖くないし、大人になればこういうことはないからね。」
と私とKちゃんの頭を手でポンポンと優しく叩きました。

後でわかったことですが、先生たちが見つけてくれた時には、すでに2時間が経っていたようです。

そして、わたしたちがいたのは、1年生の教室から見ると隣にある、まったく別の建物の屋上に通じる階段でした。

***

それからウン十年の歳月が流れ、いい大人になったわたしたち。

そうそう道に迷うことはなくなりました。

あのときの階段がなくなって廊下だけが続いている現象って、「子供の錯覚」程度に思っていたのですが、過ぎた時間や発見された場所を考えると「錯覚」程度のものではなかったと思います。
そもそも、1年生の教室は体育館に直接つながる建物の2階でした。そこから別の建物に移動するには一旦、渡り廊下(1階)に出なければなりません。そこから別棟の教室が並ぶ廊下を通ってしか、発見された階段には行けないのです。
外は大雨の台風。。。渡り廊下に出た時点でびしょ濡れになりますよね。

わたしたちは外にも出ていないし、雨に濡れてもいませんでした。

だから、わたしたちが発見されたのが別の建物の階段だったというのは、いったいどうしてそんなことになったのか今でも全然わからないのです。そもそも階段は上りしかなく、下の階にはいかれなかったので、渡り廊下に出るという状況にはなりませんでした。

その別棟は高学年が使っている建物で、出入り口や下駄箱も高学年はそちらを使っていました。
また、高学年しか使わない調理実習室や理科実験室もこの別棟に教室がありました。
そのため1年生がそんなところを知っているわけがないのです。

子供の錯覚程度に思っていましたが、Kちゃんに「あの時は本当に迷ったよねぇ、なんだったんだろう、不思議だったね」と言われると確かに「不思議」と思います。
でも、教頭先生は知っていたのではないでしょうか。

だから、私たちを発見した時「生徒がいなくなったら必ず、ここともう1か所を先に確認してください」と他の先生方におっしゃったのでしょう。
私たちが卒業した後も、小学校はまだあります。子供たちの使っている教室も少なくなりましたが、その後は迷子になる生徒はちゃんと発見されているでしょうか。

兄(注:こまりんさんのお兄さんは家族の中でも最強の霊感の持ち主です)も同じ小学校出身ですが、「学校あるある話」の1つに過ぎないとのことでした。
兄が言うには、
「管理がしっかりしていて屋上への扉の鍵がしっかりかかっていたから、階段で発見されたんだろうな。これがもし屋上に行けたなら・・・どうなるかわかるだろう?」と。
「台風で子供が屋上になんて出られないよ。風で扉なんて開かないでしょ」
と言うと
「じゃあ、迷子になっている間、お前たち、雨と風の音がどのくらい聞こえてた?子供には怖いくらい校舎内に響いただろ?」
と聞かれました。
「え?音?・・・って、そういえば~~~」
そういえば、教室を出てから、まったく記憶していなんです。

風のゴーゴーという音がすごかったはずなのに。。。
「聞こえてないんじゃないのか?そういう時は・・相手の術中にどっぷりはまっているんだから」
「聞こえてなかったかも・・そもそもそういう記憶がない・・」
「迷うってそういうこと。覚えておけよ~。音が聞こえなくなったら、普通の状態じゃないところにいるってことだな~」と。
なるほど気を付けます~という感じでした。
兄は、「本当に小さいころからチョロチョロしていてそういうのに捉まりやすいよな~」とブツブツとつぶやいていました。

幽霊こそ見なかったものの、一体何だったのかはいまだにわかりません。
本当に廊下がどこまでも長く先に続き、階段はなく、片側はずっと教室が続き・・・そんな光景を今でも時々夢にみることがあります。

不思議な不思議な小学校1年生の体験でした。