あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

派遣というお仕事 ~事務職派遣の変遷 その1~

せっかく派遣で働いているので、派遣あるあるとか雇う側だった時とかの話もしようと思います。私の経験だけではなく、色々な人から聞いた話とかも書いていこうと思います。派遣といっても、日雇いや工場派遣等色々な種類があると思いますが、私の書くものは、すべて女性が主にする事務派遣の話です。

サポート業務がほとんどですね。

今日は、事務派遣がどういう風に変わってきたかの話をしようと思います。

前のエントリーと多少かぶりますがご容赦を。

派遣の移り変わり

大昔の話ですが、派遣てある意味即戦力だったので、前のエントリーにも書いた近所のお姉さんがやっていた当時の派遣は、今とはだいぶ違います。

私の若い頃、近所のお姉さんが経理の仕事である会社に派遣で働いていたのですが、そのころは派遣という働き方が出てきたばかりで「派遣、なにそれ?」みたいな感じでした。私は学生だったので、話を聞いてもピンと来なかったこともあります。

それに働き方といったら、正社員か直雇用のアルバイトしかなかったので、派遣という言葉自体どういう意味かもよく分かっていませんでした。

でも、話を聞くとお給料がすごく良くて、手取りで23万とか言ってたよーといい、その頃の女性の事務職だったら、すごく良い方だったんですよね。

派遣法ができたのは1986年なのですが、40年前くらいの貨幣価値で考えると今の1万円が2.3万円くらいだったので、かなりな高給だったわけです。

でも、聞いてみると簿記何級とかそういう専門的な資格など持っていないと雇って貰えないというので、そういうのも大変なんだなぁ~って思って聞いていました。

調べると当時は専門的な13業務のみが派遣の対象だったようです。

もちろん、もっと専門職で正社員になればさらに高い給料だったのかと思いますが、そのお姉さんは実家が商売をやっていて、週末は手伝いもしていたりして忙しかったので、残業もないゆったりした職場でそれだけのお給料をもらえるというのであれば、何の不満もなかったと思います。それにそのころは結婚したら専業主婦がまだまだ当たり前の時代だった(私が知っていた年上の女性で寿退社しなかった人は誰もいませんでした)ので、よほどの専門的な仕事以外は正直キャリア志向なんてなかったから、別の近所のお姉さんは日本では誰もが知っている大企業に勤めていましたけど、結婚が決まったら寿退社していましたっけ。派手さはまったくない上品なお姉さんでしたけど、いつも見たこともないブランドのバッグとか持っていて「こんなにお給料貰っていいのかなって思う」って言っていたから、当時は相当OLも大手企業だと給料良かったんですよね。

それに女性社員てお嫁さん候補みたいな意味もあったから、一般職だとちゃんとしたお家の人しか大手に入ることはできなかったので、女性で大企業に勤めている、イコール両家の子女ってことでもあったんです。

私がのちに働いた会社も外資なのに事業部長の秘書は全員コネ入社で聞いてみるとどこぞの企業の社長令嬢とかそういう人ばかりでした。みんなに大事にして貰えて、「あんな楽な仕事で高給もらえていいなぁ」と毎日上司にきついこと言われていた私にはとてもうらやましい感じでしたっけ。

転職先で知り合った人で、年上で東大卒の女性がいましたけど、その人は「就職大変だったのよー」って言っていました。女だてらに東大卒とか生意気で使えないのでは?という感じで、男性はすぐに就職が決まるのに数人の女子生徒はかなり苦戦していたそうです。いわゆる総合職は男性ばかりだったので、女性を戦力とはみなしていなかった社会だったのだと思います。その人は人柄も良くて仕事ができるので、他の社員から尊敬されていて、そんな話を聞いた時は本当に驚きました。

外資に来るのもわかりましたね。

日本企業じゃキャリア形成なんてできなったんです。

その辺の話は、脚本家の内館牧子さんの「切ないOLに捧ぐ」とか作家の群ようこさんの「別人 「群ようこ」のできるまで」をぜひ読んでみてください。