久しぶりにこまりんさんからメールをいただき、長く闘病していたお父様が亡くなられたとお知らせいただきました。
その時、様々なことが起きたそうですが、以下の2件の体験を送ってくださいました。
内容が内容なので、掲載するか迷いましたが、こまりんさんから問題なしとのご連絡をいただいたので、書かせていただきますね。
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この春に長年癌で闘病していた父を看取りました。
種類の違う癌を患い、苦しんでいた状況が終わりを迎えて楽になったのを良かったと思う反面、親が亡くなるというのは覚悟はしていたとしても、寂しさを実感しています。
これは、父の闘病中に起きた出来事の一部ですが、私の実体験をお送りします。
廊下に響く音
父が末期癌と言われ、介護認定を受けました。
その後、まだ自分で歩くこともできたことから、病院でなく自宅で介護することになり、必要なものをレンタルすることになりました。
自宅での介護は、様々な物が必要でしたが、その中で、父の場合に必須だったものは、リクライニング機能のついた介護用のベッド、歩行補助のついた杖(杖の先が4つに分かれていて、手を放しても倒れない仕様のもの)でした。
他にも工事なしでトイレに手すりを設置したりしましたが、介護の等級によって変わる補助のこともあり、各用品を月額3千円程度で借りることができました。
早く自宅に帰してあげたいということもあり、同日にすべて揃えていただき、いよいよ父の自宅介護が始まりました。
当初はまだ起き上がったりはできていたので、父もゆっくりですが、借りた杖を使って部屋を歩いたりしていました。
自宅介護も落ち着いてきたある夜、少し遅めの時間だったのですが、母とリビングで介護の看護師さんと契約することなどについて話をしていました。
週何回来てもらおうか・・・というような話だったのですが、その時、いきなり廊下から大きな音が響きました。
ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!
父が使っている杖は、足が4つあるのでゆっくり歩いても少し音は大きめなのですが、家に響くような大きな音だったので、びっくりして母と廊下に飛び出しました。
父が1人で歩いて、電気のついていない暗い廊下で何かあったのかと思ったのです。
明るいリビングから暗い廊下に出て、すぐは何も見えなかったのですが、目を凝らしても廊下には誰もおらず、その音だけがダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!と響き渡っていました。
そして、その音がこちらに近づいてきたのです。
母と私はすぐにリビングに戻りました。
廊下に響くほどの音はしばらく続いていましたが、ある時間になると止んで何事もなかったように静かになりました。
「やっぱり、人が使ったものはああなるのね」
母と顔を見合わせて、そんなことを思わず口にしていました。
残留思念というのでしょうか、以前、その杖を使っていた方の無念の思いなのかまでは分かりませんが、感じることができる私たち家族に気づいて、何かを訴えかけてきたのかも知れません。
しばらくして、その杖では不都合になり、キャスターのついた歩行器を借りなおしたのですが、今度は夜中近くになると、そのキャスターがすべる音が廊下に響くようになり、父がいよいよ自宅介護も不可能になって返却するまで続きました。
魂の重さ
主治医から聞いていた余命宣告を過ぎたあたりから、父は肝性脳症(意識障害)という症状が酷くなり、自宅介護が難しくなってしまったため、残念でしたが入院させることになりました。
入院した時に主治医から「いつ何が起こって心臓が止まってもおかしくない状態です。」との宣告をされました。
そのため、家族が交代で父の病室に泊まり込むことにしたのです。
父は個室に入ったので、24時間家族の介護が可能でした。
父は意識が混濁している状況で、寝たきりになってしまい、病室で聞こえてくるのは、モニターからの非常音と苦しそうな父の呼吸だけでした。
深夜になると、点滴と痛み止めのモルヒネの容器を交換するため、寝返りをさせなければならず、看護師の方が大勢病室に入ってきます。
室内に簡易ベッドは設置してもらえたのですが、仮眠さえも取る余裕はほとんどありませんでした。
毎日、決まった時間に大勢の看護師さんたちが入ってくるので、邪魔になると悪いと思い、その時は暗い廊下に出て、フロアの談話室に行って20分程度時間を潰していました。
深夜の談話室は、たいてい容態が急変した方のご家族が知らせを受けて急いできたという感じの方でいっぱいでした。
でも、その日は私のように付き添いで泊まり込んでいる家族の方と入院中のパジャマを着た車いすのおばあさんの2人だけでした。
混んでいる時もこのおふたりはよくこの時間になると談話室にいらしたので、いわばお馴染みのメンバーだったのです。
しばらく雑談をしていると、車いすのおばあさんが「ちょっとあんたこっちへ来て」と私に言って、ドアを開けて廊下に出ました。
何かしら・・・と思いましたが、とりあえず追いかけて廊下に出ると、おばあさんは廊下の先を指さして、「今、見えただろう?」というのです。
『えっ?・・・何が・・・』
目の前には暗くてよく見えない廊下しかありません。
でも、おばあさんの真剣な表情に何かあるのかも・・・と思って、おばあさんの指をさした方をじーっと見つめました。
「えっ!」
私が驚くと同時に、「ほら、今夜はあの部屋に入った!」とおばあさんは言いました。
何がかというと、ある病室に真っ黒な色の野球ボール大の玉のような物が入っていくのが見えたのです。
廊下は暗いのですが、なぜかその玉のような物が「黒い」というのは分かりました。
病室の扉は確かにしまっているようでしたが、それでも吸い込まれるように入っていくのです。
「・・・・・・・・・あれ、なんですかね・・・あの黒い玉」
私が口に出すと、おばあさんが「あの玉が入った部屋の患者は必ず死ぬ。見ててごらん」と言ったのです。
「えっ、まさかぁ」
あまりのことにそう言ってしまいましたが、おばあさんが真剣な顔で私を見つめるので、適当に挨拶して父の病室に戻りました。
その後、簡易ベッドでうとうとした後で目を開けると既に明るくなっているのに気づき、急いで起きて父の様子を見た後、廊下に出ました。
すると、ぼんやりと夜の出来事を思い出して、黒い玉が入っていった病室に行ってみたのですが、そのドアは開け放たれていて、中を除くと清掃した後のように綺麗になっていました。
「こんな早朝に掃除なんて・・・やっぱり、亡くなったんだ」
そのことがあってから、私は黒い玉の存在をどうしても気にしてしまうようになり、夜になると廊下に出て、黒い玉を探すようになってしまいました。
その黒い玉は父の病室の両隣にも入っていき、その日にその病室の患者さんは亡くなってしまいました。
頻繁に現れるその黒い玉がいつ父の病室に来るのかという恐怖もあったんです。
なぜそんなに頻繁に黒い玉が現れたのか、それは、その病棟が入院患者が高齢者ばかりということで、元々お看取り病棟のような役割になっていたからではないかと思います。
父が入院してから3週間目の夜、恐れていたことが現実になりました。
その黒い玉がとうとう父の病室に入ってきたのです。
実は、なぜか分かりませんが、「今夜、この部屋にあれは来る」と直感で分かっていたのです。
それというのも、実はその黒い玉が通り過ぎる時に、うお~~~~ん うお~~~~~んという重低音のうなり声のような音が響くのです。
それが、徐々に父の病室に近づいてきていると感じていました。
うお~~~~ん うお~~~~~ん
段々と音が大きくなり、病室に近づいてくるのが聞こえました。
「来た」
私は簡易ベッドから起き上がり、父のベッドの横に立ちました。
締め切ったドアをすり抜けるように、黒い玉が入って来て、ゆっくりと父の寝ているベッドに近づいてきたのです。
分かっていたとはいえ、少しパニックになった私は、何を思ったのかその黒い玉を思い切り蹴飛ばしました。
すると、黒い玉は病室の外に飛ばされ、扉を開けて確認すると、向かいの病室の中まで飛ばされていました。
向かいの病室は、扉が開けっ放しになっており、カーテンのみだったのでそのまま見えたのです。
慌てて病室の照明を点けると、見回りの看護師さんが「どうしました?何かあったの、大丈夫?」と急いで来てくれました。
「くっ、黒い玉が入ってきて・・・」
思わず声に出してしまい、しまったと思ったのですが、その看護師さんは平然と「人が亡くなる時って色々なことがあるのよ。だから呼吸がある時に、お顔を良く見て覚えていてあげましょうね」と私を落ち着かせるように優しく話してくれました。
そんなことがあってから、眠れなくなった私は、父のベッドサイドに座り、手を握っていました。
夜が明ける頃でしょうか、ぼんやりと父を見ていると、父の体からだんだんと白い煙のようなものが上がり始めました。
私は、父が高熱で体から蒸気が出ているのではないかと思い、慌ててナースコールのボタンを押しました。
黒い玉の時の夜勤の看護師さんがすぐに来てくれたのですが、その光景はその方にも見えていて「もうすぐお別れになるから、ついていてあげてね。ねっ、色々なことがあるってさっき言ったでしょ。これもその1つなのよ」と言われました。
その後、主治医の先生が来てくださり、「魂って、ちゃんと重さがあるんですよ。抜けると体重が軽くなるんです。医学や科学的には解明されていないんですけどね」とのことでした。
白い煙は、父の魂が抜けていくということだったのでしょうか。
父が旅立ったのは、その日の夕方でした。
晴れ男の父らしく、病室の窓から真っ赤な夕日が差し込んできて、部屋の中はなんとも言えない色に染まっていました。
あの黒い玉と白い煙は、いったいなんだったのだろう・・・今でもふと思います。
お葬式の日。
お通夜の席でご住職が「お父様は、一切の悔いもなく未練もなく、経を唱えだすとすんなりと上がられましたよ。相当前からお覚悟は出来ていたと思います。あとは、先に逝っているお父様のご両親のお迎えもちょうど良かったのでしょう」とおっしゃいました。
それを聞いた私は、もう逝ってしまったんだ。。。という寂しさ、そして父が末期ガンの痛みや苦しみから解放された安堵感で何とも言えない気持ちで胸がいっぱいになりました。