対岸にみなとみらいの商業地区が見える歩道を歩くひとりの女。
なんだか疲れた顔をして歩くその女、浅井美和子は、最近、この地区に引っ越した友人を訪ねて行く途中だ。
ガラガラとスーツケースを引きずりながら、途中汗を拭くために一度だけ立ち止まった以外はずっと駅から歩き通しだった。
目の前に坂道が見えてきた時、ふたまたに分かれたその方角が分からなかったのか、
じっと立ち止まったまましばらく動かないでいた。
ブルブルブル。。。
ポケットに入れた携帯が3度震えて止まった。
メールの着信だ。
美和子は黙ってポケットから携帯を取り出すと、慣れた手つきで開いた。
その坂道は、右側を上ってください。
もうすぐです。駒子
「ゲッ、よりによって急な方じゃないの」
美和子はうんざりした顔をし、駅から10分と聞いていたためにタクシー代をケチったことを後悔した。
だが、ここまで来たら上る以外にない。
「しゃーない、行くか!」
日ごろ運動をしていないと、こういうところで自分の体力を思い知ることになる。
たかだか3分くらいの坂道ではあったが、駒子が待っている事務所の前に立った時には汗が額からしたたり落ちていた。
「ふー、やっと着いた」
肩で息をしながら、次回は絶対タクシーで来るぞと決め、レンガ造りの古めかしい5階ほどのビルのドアを開けた。
地図に書いてあった住所によると、駒子の事務所は3階にある。
今時あまり見かけない木でできた重たいドアを開け、誰もいない管理人室の前を通って暗い廊下を奥まで歩いた。
「嘘!」
当然あると思っていたエレベーター。
だが、目の前にあったのは、上へと伸びた階段だった。
「・・・マジかい」
急坂を上らされた挙句に、エレベーターもないビルの中に入り、これからスーツケースを持ったまま
3階分の階段を上らなければならない。
「・・・・帰ろうかな」
ブルブルブル。
美和子の気持ちを察したかのように、再び携帯メールがきた。
エレベーターは、階段の右側の小さなドアを開けた奥にあります。
「・・・なに?」
右側と書いてあっても、思わずキョロキョロと四方を見回してしまったが、
確かになんだか小汚いドアが階段の右側にあった。
これも古びて錆びたドアで、看板その他何も掛けられていないため、
気づいても物入れか何かと思うか、それとも気づかないかのどちらかになりそうだった。
「でも、これしか・・・ないわよね」
思い切ってドアノブを回すと、案外にすんなりと開いた。
突然、赤いランプの光が目に飛び込んできて、思わずゾクッと身震いしてしまった。
「こまりんさん、悪趣味だわ」
目が慣れると、確かに奥にエレベーターがあり、建物の外観に似合わずオフィスビルにあるような近代的な造りだった。
上方向のボタンを押すと、チン!という音と共にドアが開いた。
中もいたって普通。
どうという特徴もないエレベーターだった。
「喜んでいいのか、なんなのか」
どうせなら、もっとふさわしい感じの古びたエレベーターだったら気分も盛り上がったような気がする。
「でも、それはそれで怖いかもね」
とりあえずスーツケースを持って階段を上がらなければならないという事態は避けれらたため、こんなことを考える余裕も出て来た。
チン!
また音が鳴って、ドアが開くと、どうやらこのビルは1フロアーに1事務所というオフィスビルのようで、短い廊下の奥には、たったひとつのドアが真正面に見え、その横には、これまた大時代的な木の看板が掲げられていた。
蓬莱探偵事務所
横浜だから中華料理店みたいな名前にしたのかしら・・・なんて考えそうだが、
蓬莱というのは、駒子の苗字である。
東北の方にあるらしいのだが、親戚は関東近辺に住んでいるので、自分のルーツはよく分からないらしい。
美和子は、エレベーターから降りてまっすぐ歩き、鍵がちゃんとかかるのかも怪しいような古い木のドアを開けた。
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