「おー、このカップ、ローゼンタールね」
「あら、ご存知ですかぁ?先生のコレクションなんですよー♪」
愛子は嬉しそうに言うと、弓なりになっている取っ手のついたカップを美和子の目の前に置いた。
「はい、先生はコーヒー♥」
相変わらず時代遅れのぶりっ子ぶりだが、コーヒーの淹れ方は最高の愛子が駒子のカップを差し出して言った。
「ありがとう」
「では、ごゆっくりぃ♬」
愛子は笑って手を振りながらドアの奥へ去っていった。
「ふー。なんか、日本に帰ってきたって感じがするわぁ、このゴテゴテしたすっごい内装も今はなんだか素敵に見えるし」
熱い紅茶をすすりながら、美和子が言った。
「そうねぇ・・・」
「あら、こまりんさん、なんか元気ない・・・っていうか、顔色悪いわよ」
「う~ん、やっぱり最後のがキツかったわぁ」
「病院、行った方がいいんじゃない?なんなら付き合うからさ、行こうよ」
「そうよねぇ、さすがにシンドイし、行こうかな」
シンガポールの大騒動から3日後、無事に日本に帰ってきた蓬莱駒子と浅井美和子は、駒子の仕事場である「蓬莱探偵事務所」の応接室で、助手の愛子が淹れたコーヒーと紅茶を飲んでいた。
探偵とはいっても、駒子の相手は見えざる者・・・ゾクっぽく言うなら「幽霊」だった。
この世で起こる不可思議な事件を駒子の力で解決するのだ。
ある事件がきっかけでそうなったのだが、今ではひっきりなしに依頼の電話が掛かってくる。
美和子の友人の高井道隆の妹、聡子が不可解な死を遂げた事件の真相を探ろうとシンガポールに行った駒子と美和子だったが、駒子の力で亡くなった聡子から何が起こったのかを聞き、死の真相まであと一歩というところで力尽きてしまった。
「しかしさぁ、結局聡子さんは何故死んでしまったのかしら」
美和子が聞いた。
「たぶん、聡子さんが最後に言っていた、この苦しみは自分の苦しみっていうのが鍵だと思うの」
「そう?」
「うん。本当なら、別に聡子さんは何も悪くもないし、あのワン・フーメイの怨霊に吊られてしまうようなことはなかったんだけど、それほど力が強くて、自分でも分からないうちに憑依されてしまったんだと思う」
「憑依されると、自分自身の本当の気持ちが分からなくなるって言うからね」
「そう。だから、ワン・フーメイの悲しみが自分の悲しみのように感じたし、怨霊の恨みを恨みとして理解することができなかったのよ」
「可哀想に」
「100%確かかどうかは分からないけど、たぶんこの話は間違ってないと思う」
「高井さんもそんな風に感じたのかもね」
高井は、公園での出来事の後、特に話を聞くでもなく、駒子たちとは別の便で一足先に日本に帰って行った。
「連絡ないの?」
「うん。なんかこっちからもし辛いし」
「そうよねぇ・・・イテテ」
「どっ、どうしたの?こまりんさん・・・あっ!」
カチャーーン!
「きゃぁ~、ごめん!」
お腹をさすって顔をゆがめている駒子に驚いた美和子は、思わずカップを落としてしまい、フローリングの床に落ちたカップは見事に真っ二つに割れてしまった。
「あちゃちゃ!ごめん、お金とかで申し訳ないけど、弁償するからぁ」
「いいわよ、不可抗力だし。平気平気」
まだ苦痛に顔をゆがめつつ、財布を取り出す美和子に駒子が言った。
「いや、でも、高いんでしょう・・・今、全額は無理かも知れないけど」
「ホントにいいってば。私のこと心配してくれたんだし」
「いやでも、それじゃ、気がすまないから。本当に・・・いくら?」
「え・・・じゃあ、13000円」
「へっ?」
「それ、一客13000円なの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「本当にいいわよ。気にしないで」
「・・・・そっ、そう・・・なんか悪いけど」
「いいって、今度からマグカップで出すわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「冗談よ。ホントに気にしないで」
「わ・・・わかった」
出した財布をしまいながら、割れたカップをシゲシゲと見つめる美和子。
「・・・・あっ、それより病院!病院行こう、こまりんさん」
「えっ?・・・あっ、そうね。じゃ、保険証取ってくるわ。ラブちゃん!」
助手のいる部屋に歩いて行った駒子が中に入ってドアを閉めたのを見て、
「マジかよ・・・これが13000円!バッカじゃないの」
小さな陶器のカケラになったカップを見つめて、美和子はつぶやいた。
「高いって言っても、せいぜい数千円だと思ったのに。ブランド品て怖いわね」
知ったかぶりをしたのをすっかりばれてしまった格好悪さも手伝って、美和子の表情は曇っていた。
午後。
駒子の付き添いで事務所近くにある総合病院へ来た美和子だったが、診察室から駒子がなかなか出て来ないので、心配になってしまった。
廊下を行ったり来たりと歩いていると、看護師に付き添われた駒子が来た時よりさらに悪い顔色をして出て来た。
「こまりんさん、大丈夫?」
駆け寄った美和子に、
「大丈夫じゃないみたい。入院することになっちゃった」
駒子は弱々しい声でそう言うと、看護師に連れられて、奥の病棟に歩いて行った。
「・・・いきなり入院かい」
なんだか驚くことばかりで、美和子自身もなんだか倒れそうになってしまった。
「いかん。こんなことでは。ラブちゃんに連絡しなくちゃ」
携帯を取り出して掛けようとしたが、目の前に「携帯使用禁止」の文字を見つけ、慌ててバッグに戻して外に出ることにした。
事務所にいる愛子に事情を説明し、着替えその他を持ってきてもらうことにして、駒子の病室を確認したら、とりあえず帰宅することにした。
「じゃあ、また来るから」
「大丈夫よ。ラブちゃんもいるし、別に手術するわけでもないしさ」
駒子はそう言って、帰っていく美和子を病室で見送った。
急に決まった入院だったので、大部屋に空きがなく、数日間は個室で過ごすことになった。
なんとも贅沢なことだったが、疲れが溜まっていた駒子には、誰にも邪魔される心配のない個室にいた2日間は、検査の時間以外はずっと寝て過ごすことが出来た。
どうやら、強い力を使ったために内臓に負担がかかったらしい。
あちこちの内臓機能が低下しているということで、負担を取り除くために薬を飲むことになった。
その上で検査の結果が良ければ、退院ということになったのだが、なかなかそうはいかないのが世の常で、3日目に移った4人部屋での出来事が駒子の体調を更に悪化させることになってしまった。
だが、個室ですやすやと眠っている駒子は、これから起こる騒動など、全く予想もしていなかった。