夜が明けて、明るくなってからは恐怖心もやわらぎ、人間とは皮肉なもので
お腹が空いたと一旦解散して部屋に戻って朝食会場に集まることになった。
食欲が満たされると、だんだん元気になってきて、バスに乗って出発する頃には
みんなの中になんとなく「今までにない体験だった」という過去の出来事になっていった。
「しっかし、1泊目と2泊目でこれじゃあ疲れるわ」
美和子が椅子の背もたれにぐったりともたれかかりながらいうと、
「シッ!1泊目のことは誰も知らないんだから」
駒子が注意した。
「あっ・・・そうだった、ごめん」
美和子は周りを見回したが、誰も聞いていないようだったのでホッとした。
「ちょっと寝るわ」
みんな疲れていたからか、若いバスガイドが窓外の名所と言われる場所を説明しているのを聞きつつも、1人、また1人と眠りに落ちていった。
午後は小樽に到着し、東京では高級な寿司店以外であまり見かけない厚みのあるネタに驚き、そして新鮮な魚介類に大喜びしながら、昼食に用意された寿司屋での食事を楽しんだ。
「はぁ~、食った食った!美味しかったねー」
「ホント、ちょっと食べ過ぎたかも」
食後は有名なガラス工芸品を販売する大正硝子店の中で、色とりどりのガラス製品を眺めながら、食べたネタの話などしていると、昨日部屋に泣いて逃げてきた藤川親子が駒子たちに近づいてきた。
「駒子さん、美和子さん、昨日はありがとうございました」
丁寧に頭を下げる京子。
娘の香織も、横で頭を下げた。
「いえいえ、なんだか変な旅になっちゃいましたねぇ」
駒子は笑顔で言うと、藤川親子はソフトクリームを食べに行くと去っていった。
「ソフトクリームかぁ」
にんまりと美和子が駒子の方を見ると、呆れた顔がそこにあった。
「なによぉ!別に食べようって言ってないじゃない」
「別に何も言ってないでしょ~」
それから運河沿いのカフェでコーヒーを飲んだり、散策をしたりと、短い時間だったが小樽を楽しんだ。
「あっ、あじゃみんさん、あれ」
「えっ?」
駒子の指先を見てみると、「石原裕次郎記念館」と書かれた看板が見えた。
「行かないわよ」
「誘ってないわよ」
はははは#と大笑いして、バスに向かった。
小樽での楽しいひとときを満喫し、20組のツアー客が向かったのは札幌のど真ん中にあるホテルだった。
途中、有名な時計台を見たのだが、「思ってたより小さいねー」という声が大半で、バスガイドによると実物を見てがっかりする観光客はかなり多いとのこと。
ここ連日の幽霊騒動もあって、なんだか二人とも疲れきってしまい、
部屋に荷物を置いたら「絶対ここで寝転がったら起きれないわ」と夜の街に繰り出すことにした。
「どうせ明日は起きて出発するだけだし、次の日仕事じゃないしね」
「そうそう。私たちは自由業で~す!」
やっと独立した美和子と、以前からフリーでエンジニアをしている駒子は、生活は不安定といえば不安定だが、自由な自分の人生を楽しんでいた。
ちょうどロビーで会った藤川親子と最後の夜だからと一緒にご飯を食べることにして、
色んなメニューが楽しめるのは居酒屋!と、来る前に駒子が友人から仕入れてきた美味しい居酒屋情報でリスト化した店を探して入った。
「へい!いらっしゃい!」
なんだか東京でいえば炉辺焼き屋のような煙った感じの店内に威勢のいい声が響いた。
それから2時間ほど、飲んで食べて、冗談を言い合って、美和子と駒子、そして藤川母娘は尽きることのないガールズ・トークを展開した。
「はぁ~、楽しかった♪」
ホテルに戻ってシャワーを浴びると、もう二人ともクタクタで、先に入った駒子は既に夢の中という感じでいびきをかいていた。
「なんだよ、もう寝ちゃったのぉ」
シャワーですっかり目が覚めてしまったので、美和子は冷蔵庫からウーロン茶を出してゴクゴクと飲んだ。
「はぁ~、やっぱり風呂上りのウーロン茶は旨いねぇ」
オヤジのように独り言を言った美和子だったが、次の瞬間、背筋が凍りついた。
トントントントン
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ごく小さな音だったが、どうやらドアをノックする音が聞こえてきたようだ。
最初は、何の音か分からずにびっくりしたが、ノックと分かれば怖くはない。
「誰だろう」
ベッド脇のテーブルの上にある時計を見ると、夜中の1時45分だった。
「えっ?!もうこんな時間・・・こんな時間に誰がくるかなぁ」
おかしいと思って、そっとドアまで歩いて行くと、
トントントントン
小さな音はまさにドアから聞こえてきた。
「・・・・ドア?」
トントントン
コツコツコツ
少しトーンが変わったが、ドアを誰かが叩いているのは確かなようだった。
「でも、ここドアベルついてなかったっけ?」
確か夕食前に人を誘って行こうと、別の部屋のドアベルを鳴らしたのを思い出した。
そして、よく聞いてみると、そのノックは床から20cmほどのかなり低い位置から聞こえていることがわかった。
そっとドアの覗き穴から廊下を覗いてみたが、目の前にあるのは向かいの部屋のドアくらいで、あとは何も見えなかった。
「子供?」
だが、今回のツアーに小さな子供は参加していない。
「・・・・・・・・・おかしいなぁ」
おかしいといっても、もう理由は明白で、これは爆睡している駒子を起こす以外になかった。
「ったく、なんで3日連続なわけ?!」
いくら霊感の強い駒子と一緒だとはいっても、ここまではっきりした霊現象を受けることはあまりない。
「ちょっと、こまりんさん」
深く眠っているであろう駒子を揺り起こと、今も小さく小さく続いているノックの音を聞かせた。
「・・・・・・・・なんだろ?」
「それがわかれば起こさないってば」
「確かに・・・よっこらせっと!」
駒子は眠いのを我慢して起き上がると、自分も一旦ドアの覗き穴から外を見てみた。
「やっぱり誰もいない」
それでも、ノックの音が止む事はない。
リリリリリ~ン
突然部屋の電話が鳴った。
「・・・・こんな時間に誰よぉ」
怖いながらもしつこく鳴っているので、美和子が電話に出ると
今日は向かいの部屋になった藤川親子の母親の方、京子からの電話だった。
「美和子さん、私、京子ですけど、夜分遅くにごめんなさい」
「あっ、いえ、別に起きてたから大丈夫ですよ」
美和子は優しく言った。
「なんか・・・ドアにノックの音がして、眠れないんですけど」
「・・・・そちらもですか?」
「えっ?」
「実は、こっちもさっきからずっとコツコツ叩いてるんです」
「怖いわ・・・どうしたらいいかしら?」
美和子は、駒子の方を見て『藤川さん』と口の形だけで伝えた。
「絶対にドアを開けないでって言って、こっちでなんとかするから」
「(わかった)あの、絶対ドアを開けないでしばらく我慢してください。こちらでなんとかします」
「わかりました。よろしくお願いします」
京子は不安そうな声で言った。
美和子は電話を切ると、「どうする?」と思案顔の駒子に聞いた。
「・・・・なんだろう、これ」
「これって?」
「うん、さっきから窓の方に視線を感じるのよね」
「えっ?」
そういわれて思わず窓に目を向けた美和子だったが、カーテンが引いてあるので何も分からない。
「開ける?」
「いや、いいわ・・・フロントに電話する」
「うん・・・あっ!そうだ思い出した」
「何を?」
「部屋の窓は開きませんてわざわざ言われたんだけど、なぜですか?って聞いたら、釘で打ちつけたって言ってて、なんだそれって思ったのよ」
「なるほど、飛び降りなのね」
「・・・・・・・・・あのさぁ」
「うん?」
「これってさぁ」
「うん」
「平和だったのって、羽田から飛行機に乗って函館の空港に着いた時くらいまでだったわよね」
「う~ん、まぁ、そう言われればそうだけど」
「あたし・・・・せっかく独立したご褒美旅行だと思って来たのに、なんで3日間連続でおばけに悩まされなきゃいけないのぉ~!!」
それだけ悔しかったのだろう、美和子はとうとう泣き出してしまった。
「ぐやじぃ~!!」
美和子が泣いたところなど見たことがなかった駒子は、あまりのことに何も言えず、しばらく地団駄を踏んで泣く美和子をただ見ていた。
ドンドンドン!!!
「・・・ひっ!」
いきなり大きくなったノックの音に驚き、泣いていた美和子も固まってしまった。
駒子は、急いで電話機まで行くと、受話器を取った。
「うお~~~~~んん・・・うううえ~~~~ぐぐぐぐ」
『なに?!』
受話器を耳に当てた途端、断末魔のようなうめき声が聞こえてきた。
「うるさい!」
搾り出すようなうめき声は、駒子の一喝で一瞬止まったが、またすぐ「うううううう」と聞こえてきた。
今度は何も言わずにフロントの番号を押すと、
「○号室の蓬莱ですが、ここのフロア、おかしくないですか?どなたか飛び降りてますよね」
そういって、見に来てもらうように頼んだ。
待つこと10分。
コツコツという音はその間もずっと続いていたのだが、フロントから人が来たのか、廊下から声が聞こえたら、ピタッと止んだ。
ピンポーン♪
まだグズグズ言っている美和子を放っておいて、駒子はドアを開けに行った。
「ご迷惑をお掛けしまして、申し訳ございません」
黒服を着たマネージャーと書いたネームプレートを付けている男性が、駒子の顔を見るなり深々と頭を下げた。
「やっぱり、何かあったんですね」
駒子がそう聞くと、竹入と名乗った男は、周りを気にして「お部屋にお邪魔してよろしいでしょうか」と言った。
「どうぞ」
中に招き入れると、窓際の小さなソファで鼻をかんでいた美和子に紹介した。
「・・・・・これ、どういうことですか?」
うらめしい顔で聞く美和子に竹入は経緯を話し始めた。
以前、出張でと予約をした男性客が遺書を残して駒子たちの部屋の真上にある1003号室の窓から飛び降りたというのだ。
遺書には、自分の人生に対しての不公平感や助けてもくれない周囲の友人への恨みが綿々と綴られていた。
警察で調べた限りでは、根拠のない思い込みだったようだが、仕事を失ったり、長年付き合っていた女性にふられたことで、相当ショックを受けて鬱状態だったのではないかとのことだった。
そんなことがあって以降、泊り客から「夜中に窓が開いてしまう」とか「電話を掛けようと受話器を取ったらうめき声が聞こえた」などという苦情が出たため、有名な僧侶に頼んでお祓いをしてもらったというのだ。
「・・・そうだったんだ」
美和子がカーテンで見えなくなっている窓の方を見ながらつぶやいた。
「はい。それでここのところは何事もなかったのですが・・・」
うなだれる竹入に駒子は部屋を変えて欲しいと頼んでみた。
もちろん、親子の分も一緒に。
「かしこまりました。すぐにご用意いたしますので、しばらくお待ちください」
竹入は、再度頭を下げて出て行った。
美和子はすぐに藤川親子の部屋に電話を入れ、荷物をまとめておくように話した。
「今まで大丈夫だったのに、突然てことは~」
変なところで言葉を切る美和子に駒子は「なによ」と言い返すと
「幽霊が仲間だと思って寄ってきちゃう人が泊まることになって、出てきちゃたんじゃないかしらぁ~?」
「もう!ふざけないでよ!」
駒子がベッドの枕を投げると、無防備だった美和子の顔面を直撃した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その場に崩れ落ちた美和子の姿に慌てた駒子は「あじゃみんさん!」と叫んで近寄ると、仰向けにぶっ倒れて目を閉じた美和子を助け起こそうとした。
「・・・・・・・・・あっ!」
助け起こそうと力を入れたと思ったら、美和子が落ちた枕を取って駒子にぶつけてきた。
「まったく!何すんのよ!」
「復讐よ!ふくしゅうー!」
「きゃぁ~!!」
「これでもくらえ!」
修学旅行の枕投げ状態になった部屋に幽霊の怖さはなくなってしまった。
ドンドンドン!
「ひっ・・・!」
隣の部屋から壁を叩く音が聞こえてきた。
「・・・・今度はなに?」
思わず固まった二人だったが、聞こえてきたのは隣の部屋になった聞き覚えのある男性の声で
「今何時だと思ってるんだ馬鹿野郎!」
という抗議の声だった。
「・・・・ごめんなさぁ~い」
同時に謝って、我に返ったふたりは、枕を片付けてから自分たちの荷物の整理をし始めた。
ほどなくして従業員が迎えにきたので、藤川親子と一緒に別の階の部屋に移り、その後は何事もなくぐっすりと眠ることができた。
翌日は快晴で、すっきりと目覚めた一行を乗せたバスは、一路千歳空港に向かった。
飛行機が羽田に降り立ち、外に出た駒子と美和子は「うわぁ~、暑いねぇ」と、どちらからともなく口にした。
「そういえば、北海道も30℃くらいあったのに、全然暑さを感じなかったよね」
美和子がそういうと、駒子もうなずき、そういえばまったく暑いという感覚はなかったことを思い出した。
なんだか変なことばかり起きて、通常の混在ツアーでは有り得ないような体験をした人々は旧知の仲のような感覚になり、住所の交換などもして、その後も年賀状のやり取りをする付き合いが続いた。
だが、残念なことに藤川親子は事故で亡くなり、洞爺湖の旅館で一緒に一夜を過ごしたご夫婦もツアーが終わってから半年後に亡くなった。
後から数えてみると、総勢20組のツアー客のうち、8組が若くして亡くなっている。
既に5年の月日が経ったとはいえ、とても笑って話せる気分にはなれないため、美和子も駒子もこの話をすることはほとんどなく、年賀状の時期になると思い出す程度だった。
そして、駒子が買ったクリスタルのペンダント。
駒子と美和子がお互いの自宅に帰り、玄関から中に入った瞬間、パリン!という音を立てて割れてしまった。
もしかしたら、クリスタルのペンダントがふたりを守ってくれたのかもしれないが、真実は分からない。
こんなことがあったからか、以前から霊感の強さは知られていた駒子に建設現場を見てくれないかという依頼が通常の仕事に追加されることになってしまった。
一度など、事件があったとされる部屋に入った途端「熱い・・・苦しい」と苦しそうな女性の声が聞こえてきて、天井裏を探してもらうと大きなスーツケースに入れられた女性の遺体が発見されたことがあった。
以来、そんな頼みごとの方が増えてしまったこともあり、「そっちを本業にしたら?」という美和子のひとことに「どうせなら、そうしようかな」と、幽霊探偵・蓬莱駒子が誕生した。
そして、今日も亡くなった人の声を聞き、見つからない人々の捜索を続けているのである。
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