あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

北朝鮮への帰国事業について その1

最近、旅行にも行けないし、本来のこのブログとは路線が違う「たまに時事ネタ」がたまにじゃなくなってしまっているのですが、これについてはどうしても書きたいなぁ~と思うことがあり、思い切って書くことにしました。

長いですし、明るい話じゃないので、ご興味のある方だけお読みいただければ嬉しいです。

知らなかった歴史の闇

在日朝鮮人の方たちが、北朝鮮に”帰国”する事業が大々的に行われたことくらいは知っていましたが、正直いつからいつまでというのも知らなかった(習った覚えがないんです)し、興味もなく、実際にどんな感じだったのかもよく分かっていませんでした。

最近、反日番組や偏向報道で「どこの国の公共放送だよ」と言われるNHKですが、さすがNHKと思うようなドキュメンタリーを制作したりして、どうしてこういうしっかりした番組を作れるのに、偏向報道などするんだろう・・・なんて思っていました。

番組ごとに作り手が違うということもあり、そんなことになっているようです。

「北朝鮮 “帰国事業” 60年後の証言」という、北朝鮮から逃れてきた人々へのインタビューや帰国事業とはなんだったのかを扱った番組を観る機会があり、今まで漠然とした知識しかなかった私は、かなりショックを受けました。

なお、このエントリーは、その番組だけではなく、番組をきっかけに北朝鮮の帰国事業のことや実際に脱北した人々のインタビューや講演動画など、さまざまなものを観た上で書いていることをここにお知らせしておきます。色々な見方が出来る問題を含んでいるため、違うご意見の方もいらっしゃると思いますので、その点はひとつの見方としてご了承いただきたいと思います。(単なる感情的なコメントは即削除&投稿ブロックをいたします)

敗戦から朝鮮分断、そして朝鮮戦争後

第二次世界大戦後に成立した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)という同族による分断国家が起こした戦争。米ソの代理戦争の様相を持つこの戦争は、1950年6月25日 – 1953年7月27日まで続きました。

また、日本が朝鮮を統治していた当時は、内地(日本)へ出稼ぎなどで多くの朝鮮人がやってきていました。戦争が終わり、敗戦国となった日本ですが、国内の朝鮮人は多くがそのまま在留しました。約60万人と言われています。

まだ国全体が貧しい時代に日本人でさえ貧しかったため、敗戦で突然外国人となった朝鮮の人々は、仕事もなく貧困の中に生きていました。

このため、生活保護を受給する世帯が増え、また彼らが住む朝鮮部落と呼ばれるコミュニティが出来、朝鮮人による犯罪が多発したことから、これらの人々は日本国の「お荷物」となっていたようです。敗戦後の貧困や差別で祖国に帰りたくても、3年も続いた朝鮮戦争がありましたから、戦地に帰るなんて人はいませんよね。それもあって当時「帰りたい」と思っても帰れない人もいたというのが正しいのではないでしょうか。

朝鮮の分断は、日本国内でも起こっています。

北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総聯合会(以降、朝鮮総連)と韓国を支持する在日本大韓民国民団(以降、民団)に分かれ、お互いに反目しあっていました。

帰国(帰還)事業のはじまりに

先述の「60年後の証言」という番組では、当時日本にいた男性がなぜ北朝鮮に渡ったのかをインタビューで答えていました。彼は日本人として日本に住み、柔道でオリンピックに出るという夢を持っていました。しかし、日本の敗戦で突然外国籍となったことで、オリンピックに日本代表として出るという夢は破れてしまいました。

また、貧困で仕事もなく、どうやって生きようか・・・となっていた時、「夢の国北朝鮮に帰ろう」という帰還事業があることを知り、「日本で朝鮮人といえばみんな嫌いだから、こんな思いをしてまでいるなら、祖国に帰ろう」と北朝鮮への帰還を決めたのです。

貧困層の増大や犯罪の多発等、様々な状況から、日本側にももちろん言い分はあったと思いますが、それ以前に日本人の心に差別意識があったのは事実だと思います。私も幼い頃に見たことがあるので、何も差別はなかったと知ったかぶりして話す人においおい!って言いたくなる時があります。

日本にいて権利を主張するなら、帰化して日本人になるべきということを言う人がいますし、確かに参政権や日本人だからという理由で行使できる権利が欲しいのであれば、国籍取得は当たり前だと思いますが、時代に翻弄され、ある時は日本人、そしていきなり朝鮮人=国のお荷物と、犯罪など自業自得の面があったとしても、そんな扱いを受けてきていれば、日本の国籍を取りたいなどと思わないのも理解できます。

そんな中で「夢の祖国、北に帰ろう」と一大イベントが待っていたわけです。

 

その2に続く