なんでもそうなのですが、この世の希望を見出すという話に出てくるのは、結論はすべて「念」とか「思考」なんです。
例えば、楽しそうにしている人たちを見ると思わず笑顔になってしまう・・・これも良い気を感じると自分も楽しくなったり気分が良くなったりするのですが、そういう「気」を発している元となるのは人の思考や念なわけです。
ただ、世の中には素直にそう受け取れない人がいて、「自分はこうなのになんであいつはこうなんだ、これは社会が悪い!殺してやる!」と無差別殺人などに走るやつもいるわけです。そして捕まって死刑・・・。
こういうネガティブな思考が良い訳がないというのは、これでわかると思います。
しかし今、世の中がどんどん悪い方向に行っていますよね。
何かのコメントを読めば悪口の数々。
あたかも自分が神にでもなったかのような上から目線の悪口、誹謗中傷。。。
批評・批判と書かないのは、批評はあることがらについて、論拠を持って書いたり言ったりすることなので、それと悪口を一緒にしたら社会が成り立たなくなってしまいます。
長年、外資系に勤めていて海外(主に欧米)のビジネスマンと日本人のビジネスマンの大きな違いは、仕事の議論が後を引くか引かないかです。
喧々諤々の議論をしたとして、激しいやり取りになったとしても、それはその仕事についての話なので、会議が終わったら「終わり!」となるのが欧米のビジネスマン、「あいつあんなこと言いやがった」と引きずるのが日本のビジネスマンです。
もちろん、全員の話じゃなくて「傾向として」ですけれども。
個人的な感情が先に立つのが日本人のある意味悪いところだと思うことが何度もありました。(私はアメリカ人のドライ過ぎるところは嫌いですけどね。自分ばかりで人のこと考えないところとか➡そうじゃない人ももちろんいますよ!)
ということで、冒頭で私が言っている悪口は、自分の単純な好き嫌いを超えた、誹謗中傷のことです。
そんな風に悪口や不平・不満・愚痴で溢れる気が集まって、良い結果が出るわけがありません。暴力は暴力を呼び、憎しみは憎しみを生むのです。
そして、三木住職は、その原因と一筋の希望について、わかりやすくお話されています。ぜひご覧ください。
ひとつお断りしますが、私は宗教否定論者ではありませんが、三木住職の宗教について肯定・否定の判断をしていません。あくまでお話の内容がすごく良いなと思ったことを付け加えておきます。