ある事について、Aという人は好意的に見ていて、Bという人は嫌悪を感じている。
同じ時に同じ場所にいたわけではないけれど、同じような事柄について体験し、その両方が真逆の印象を持つ出来事だったりすると、いったい真実はどこにあるのかと思う。
Aがある場所で体験したことも事実。
Bが別の場所で体験したことも事実。
こういう場合は、その両方を受け入れて、2面あると思った方がいいのだろう。
どちらも事実なら、どちらも否定できない。
そんな風に考えることがあった蒸し暑い梅雨の夜でした。
そのこととは、ちょっと違うけど例えばこんな感じ
例としては、あるブランドのある店に行ったAはその店をすごく気に入ったという。とっても感じの良い店員が満足のいく接客をしてくれて、「これはいいです」と言ったら、押し売りもせず、気持ちよく見送ってくれた。本当に良い店だから、また買い物に行きたいと思った。
かたや、Bの体験は、同じブランドの別の店でとっても感じの悪い店員に感じの悪い対応をされ、挙句にいらないと言っているのに押し売りまがいの接客をされた。Bは、いったいなんでこんな店が流行っているのか意味不明!と思って憤慨した。
肝心なことといえば、AとBが行った店は同じブランドだけど行った店や接客した店員は違うということ。
ブランドのポリシーはひとつなので、まったく同じ教育をしているはずなのに、その理解度のせいで、ただ売ればいいというBとお客様に納得していただくことが大事だと思って接客をしたA。
どちらも同じブランドの店員で同じ教育を受けているのにまったく真逆の接客をしてしまっていることは、注目に値する。
あなたの心がきめる
同じことを言われても、受け取り方でまったく違うという体験をしたことがある。
ある目上の人が私や友達に激励の意味で色々と意見してくれたことがある。
正直言って、『そんなこと言われなくてもわかってるよ』というありがた迷惑な内容だったけど、その人はその人の立場があって、そういう風に言うものなのだろうと「はい」と返事をしながらも、右から左に受け流していた。
3日くらい経った頃、共通の友人がバイト先に訪ねて来て、「あじゃみん、XXさんにXXXなこと言われたんだって?大丈夫?」とすごく心配そうな顔をして聞いた。
正直言って、すっかり忘れていた話なのだが、話の内容からすると数日前の説教おやじの話だとわかったので、「別に平気だけど、あの人ならそういう風に人に言うって思ったし」と平然と言ったら、心底ほっとした表情をした。
理由を聞くと、一緒にいた友人は、その説教おやじが言ったことを真に受けてしまい、自分はそんな言われ方するような生き方はしていないのに、なんでそんなことを言われないといけないのか・・・と悔しくて寝込んでしまったのだった。
「えっ?ほんとに?!」
まったく気にもしていなかった私は、あんなことを真に受ける人がいることすら想像もせず、今の今まで忘れていたので、本当に驚いた。
まぁ、人に言わせれば、私のように強心臓の女はそうそういないってことみたいですけども・・・(笑)