引き寄せの法則を実践し始め・・・というか、もともと私は仏教的な物の考えが土台にあるので、この世はすべて原因と結果がある(因果の理法)・・・と思って生活しています。
引き寄せというと、なんだか自分で手を伸ばして、遠ーーーくにある物を引っ張ってくるイメージないですか?
「思考したこととぴったり合うことがどこかから引っ張られてやってくる」って感じでしょうか。
思ったこと=原因
引き寄せられたこと=結果
というわけで、言い方はなんでも良いのですが、自分に現れた結果は自分が過去に作った原因によってもたらされるというのは、すべてにおいて真理かなと思います。
水素と酸素で水というのは、誰でもが知っていることですが、それが自分の人生の原因と結果だと「(自分が作った原因を)覚えていない」ことの結果は受け入れ難いというのもあると思います。
人が考えることなんて限界があると思うし、人生で起こる物事の原因が何でもかんでも「思考」っていうのは、どうかなと思います。
例えば、これは以前書いたことですが、大災害だとか事件とか、そういうのに遭うのも自分の思考がもたらした結果だと、引き寄せの法則で本を書いたり、セミナーをしたりする人は言ったり書いたりしています。
でも、そんなのどうやって証明するのか?ってことですし、例えば東北の大震災の犠牲者のご家族にそんなことは到底言えないですよ。
とはいえ、被害者に直接言える言えないということは別として、人には持っている業とか宿命というのはあると思うので、それが今の人生で結果となって現れたというのはあると思っています。
だから、引き寄せだとか宿命だとかそんな呼び方はどうでも良くて、どう考えても今自分が「こういう状況だ」というのは、やっぱり自分自身に原因があるのかなとは思います。
他人が自分の人生を決めるのではなくて、やっぱり自分が決めていると。
とはいえ、こういう考え方自体に否定的な人も多いはず。
引き寄せ関連の本などを読んでいると結構こういう「本当かな?」的なことはたくさん出てきます。
疑惑・・・とまでいかなくても、どうしても信じられないという感情。
これについては、私はもう「そういう風に思ってしまう自分」を認めてしまって、あまりそのことについては考えないことにしています。
上記の通り、なんでもかんでも「思考」が引き寄せたなんて、素直に信じられない部分があって当然だと思うので、そういう感情を否定するのではなくて、ここは自分には信じられないところなんだと素直に認めてしまえばいいのだと思っています。
その部分を信じないからといって、今まで実践してきたことが無駄になったかといえば「否」です。
人がどれほどネガティブな存在なのかを身を持って知り、自分の考え方をしっかりと変えたことで、得られたことの方が圧倒的に多いからです。
だから、「ここはなぁ~」ってところ(つまりネガティブな部分)に焦点を当ててしまい、「だから信じられない」となってしまったら、今までと同じ生活に逆戻りです。
もっと大きな願望が叶うようになったら、たぶんそんな疑問は些細なことだと感じるようになると思います。
自分がそう思わない事柄についてまで、無理やり納得しようとしたりして、潜在意識では「絶対嘘!」なんて思っていたら、叶う願いまで叶わなくなりそう。
結局、自分の願いが叶わない原因は、心から信じきれていないことなんでしょうね。
「良い仕事に就きたいけど・・・・」
「パートナーと出会いたいけど・・・」
「お金が欲しいけど・・・」
この「けど・・・」という否定がせっかくポジティブに考える癖をつけてきた思考にブレーキをかけ、自分が本当にこうしたいと思っていることが願いとして伝わらなくなります。
結局、言い訳が入るイコール「叶わないと思っている」ことですから、願いが叶うどころか、マイナスの結果が着いてくることになりかねません。
ここで躓くかどうかで、より良い人生にステップアップできるかできないかが決まるのでは?と思っています。
(参考図書:Expect Miracles ジョー・ヴィターレ博士)