あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

「日本人」を誇れる人に。 その1

平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の時、確かに後で小さな犯罪はたくさんあったと報道されてはいましたが、よく世界のニュースで見るような大型のスーパーなどを集団で襲う「Looting(略奪)」は起きていません。

日本人の感覚からすると何故そんなことするのか?という感じですが、外国のニュースで笑いながらスーパーから物を盗む映像を見て、外国って怖いなぁ~と心底思いました。

報道などで、東北の人々が協力し合い、助け合っている姿や、何時間もじっと並んでスーパーの順番待ちをしているのを見て、都会に暮らしていると忘れがちな「日本人」の良い面、昔から持っていた「和」を重んじる生き方を思い出させてくれたように思います。

欧米の生活スタイルがイコール悪などということはありませんが、およそ日本人に合わないのではないかということまで、なんだかそれに合わせることがグローバル化であるかのように言われ、そして、それがまたうまく馴染めないために目指したのが義務と権利を合わせ持つ「個人主義」のはずだったものが、権利ばかり主張して他を思いやることを忘れた、単なる「利己主義」になって定着してしまっているのではないでしょうか。

日本初の成文法である十七条憲法は、推古天皇(在位:593年1月15日 - 628年4月15日)の頃、摂政であった厩戸皇子聖徳太子)が定めました。

その第一条が有名な「一曰。以和為貴。無忤為宗。(以下略)」です。

これは、「一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。」と読み下し、現代語に訳すと「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。」ということになります。

この国は基本的に「こういう風にやっていくんだよ」と国の基本姿勢を書いたものが憲法ですから、その一番最初に「みんなで協力し合っていくことが一番大切だ」と書いてあるわけです。

「和」というのは、自分というものをしっかり持ちながらも、他と調和していくということだそうですが、これを読むと、和というのは単に妥協して協調せよという意味でないことが分かります。

しっかりと自分という自己を確立しながらも、他の意見に耳を傾け、相手を尊重して暮らしていくことが大切だ・・・ということではないでしょうか。

今、その「和」の精神が見直されはじめています。

周りを見渡せば、自分を顧みずに相手を非難している人が本当に多いですね。
逆切れなんていうのも、その典型です。

確かに「お前が言うな」と言う人に注意されたりすると頭にくることは確かですが、客観的に自分を見て、その人がどうではなく「本当にその通りのことを自分はしていたな」と思えば、素直に聞けるはずです。

しかし、何か言われたら自分の行為を反省するどころか、注意した人をののしるとか、そういう逆切れ現象は本当に多いようです。

先日、友人からメールが来ました。
なんだか怒っているようで、よく読むとこれがまたすごい(笑)

笑っちゃいけないのですが、もう呆れて笑ってしまうような内容だったのです。

電車で席に座っていた時のこと。
隣はどうやら就職活動中の女子大生(スーツ姿や持ち物で分かる)だったようで、ずーっとスマホで何かかちゃかちゃやって、肘が友人に何度も当たっているのにまったく意に介さず、挙句には電話で友達と通話まで始める始末。

30分以上もスマホを操作して、腕が動いてグイグイ押してくるため、友人が「痛いから、肘を引いてもらえない?」と注意したところ、ものすごい怒りの顔で友人の脇の下を肘で猛烈について(プロレスでいえばエルボー?)きて席を立ったそうです。

あまりの痛さにうずくまると、隣の女性がその女子大生を捕まえてくれ、「暴力女は駅員につきださないと!大丈夫!?」と助けてくれたそうです。

次の駅で駅員に事情を話して警察に突き出しました。
もちろん、反省して謝ってくれればそれでOKというつもりだったのですが、その後掛かってきた母親からの電話には茫然。

「あの子は、就職活動のストレスで暴力をふるってしまったの!だから悪くないの!
誰にでもあるでしょ!?それくらい大人ならわかるでしょ!?だいたい、優先席で携帯くらいみんなやってるでしょう?それを注意するなんて!あんた被害者ぶってるけど、ただのクレーマーキチガイでしょ!!」

謝罪のシャの字も一切なく、いきなりこうまくしたてられました。
フリーで仕事をしている友人は、メモが取れない時のクセで録音ボタンを押していたので、その母親の脅迫まがいの言葉もちゃんと録音していました。

母親は、「うちの娘を犯罪者にしたあんたを一生恨んでやる!!ぶっ殺してやるから!!自宅に火つけてやるから、苦しんで死ね!」とまで言ったそうです。

帰りに警察に出向き、その録音を再生した上で「家族に被害が及ぶと困るので、被害届を出します」と言って、手続きをしてもらいました。

その時の刑事さんとの会話です。

「こういう親は危ないね。本当にやるタイプ。脅迫以前に、娘が傷害(事件)起こしたっていう自覚ないのかね?何で被害者が悪くなるんだ~?」

「さあ?私に聞かれても・・・」

「最近の親っていうのはわからないね。恥って言うのがない親から生まれると、子供は一生不幸だね。子供って言っても、とっくに成人過ぎてんだけどね。」

苦笑いの刑事さんに作成してもらった書類に色々と記入して、遅くに帰宅したそうです。

すると今度は、父親という人から電話が掛かってきて、「つまりは金だろう?いったいいくら欲しいんだ」と、これまた謝罪のシャの字もなくいきなり言われ、友人がお金の問題ではないと言っても認めず、「貧乏人のゆすりたかり」とか「幸せな家庭をぶち壊す気か!」と怒鳴ってくる始末。

ちょっと注意されたくらいで暴力を振るう娘や、娘のしたことを謝るどころか相手を罵倒し脅迫する母親、そして、それをそんなことくらいと言ってお金で解決しようする父親

いったい、どんな「幸せな家庭」を築いていらっしゃることやら(笑)

友人は冷静に「娘さんの暴力と奥さんの脅迫。お2人が心から謝罪できるまで待ってます。
頭を下げて礼儀をきちんとされて謝罪ができればそれで結構です。お金は必要ありません」と言うと、その父親は最後の最後に「弁護士を入れる!必ずオマエを後悔させてやるからおぼえとけ!このアホが!」と怒鳴って電話を切りました。

後日、本当に弁護士から連絡があり会いに行くと「頭は絶対に下げられない。謝罪はあり得ないけど、起訴だけはされたくない」というハチャメチャな言い分を笑って告げられたそうです。

とにかく「お金でのみ解決したい。いくら払えば訴えを取り下げてくれるんだ」と言われて弁護士としても困っているんですというので、「謝罪以外受け入れられない」とした上で、どうしてもお金というのなら、5千万円と言って帰ってきたそうです。

ここまでの人ってそんなにいるのかなぁ~と思いましたけど、実際は最近の親はこんなのばっかりだそうです。

この話をした友人たちから、色々なエピソードが出る出る。
駅で歩いていただけで、後ろから思い切り蹴っ飛ばされたとか(どうも、友人の歩いている方向に急いでいたので邪魔だったらしい)、ちょっと肩がぶつかっただけなのに、戻ってきて後ろから蹴り倒されたとか(急いでいたのですみませんと言わなかった自分も悪いけどとは言っていましたが)、そんなことで暴力?というのが出る出る。

一部の大学生の実態とか、聞くと本当に情けなくなります。
そして、その親の世代というのは、私や少し上くらいの年代なので、それもまた情けなくて仕方ありません。

しかし、どうして、こんな風になってしまったんでしょうか。

日本は、こんな自己中心的で暴力的な人たちばかりになって、やがては「日本」という国自体が滅びてしまうのでしょうか。。。