あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

少子高齢化対策は必要ですが、その前に今いる子供をなんとかして欲しい。

昔は、必須科目を落としそうになり、教授に泣きつく学生というのが少なからずいましたが、そこに「親」の影などほとんどありませんでした。

勉強しないお前が悪い、留年なんてさせないから勝手にアルバイトして暮らせとか結構厳しい環境の人も多かったですよね。

でも、今は子供の成績が悪いと教授に泣きを入れたり、脅したりしにくるのは「親」なんだそうです。

先生だって意地悪でやってるわけじゃないので、成績が悪いのには理由があるんですよ。

全然出席してないし、テストの点も最悪。
こんな生徒に良い成績がついたら、真面目に勉強している生徒が馬鹿みたいです。

でも、将来こういう会社に入れたいとか、官僚にしたいとか親が自分の子供の実力も省みずに勝手に大きな夢を抱いていることが多いらしく、あまりにもかけ離れた現実にびっくりして「うちの子はこんな成績の訳がない」って怒鳴り込んでくるそうです。

そういう親を邪険にしようものなら本当に訴えられかねないので、出席簿からテストの成績表から何から全部見せて「これでどうやって良い成績をつければいいのでしょうか?」的に話をするそうです。

教え方が悪い・・・と、そこまで言う親もいるそうですが、大抵はそこで自分の子供がさぼって勉強していないことを知り、すごすごと退散するそうです。

でも、そんなことでもめげず、今度は教授に難癖つけて学校に訴えたりなどもあり、最近の先生は敬われるどころか、モンスターの餌食にされるリスクを常に背負っていないといけないようです。

本当に大変ですね。

確かに変な先生はどの時代にもいましたが、先生という立場は尊重されていました。

その昔、学校で暴力を振るう生徒が出始めた頃、うちの弟が父から「先生に暴力なんて振るったらただじゃおかない」と言われていましたが、うちの父は人の話をたいして聞くほうでもなく、誰よりも怖い人だったのですが、そんな父でさえ先生を殴るなんてとんでもないことだと思っていたようです。

昔は先生にげんこつくらったりしても、自分が悪いからしょうがないと思って反省していましたけど、今は、げんこつひとつできない状況だし、多くの子供たちが何かしら「他人のせい」にして自分を省みない子が増えているようです。

だから先生に叱られても、叱られたことにだけ反応してしまう。

なぜ叱られたのかの、なぜ・・・がないんです。
自分がしたことを振り返って反省することもできないのでは、社会に出てからどうなるか。

逆切れという言葉はまことに言い得て妙。

本来は、素直に「そうですね、すみません」と反省する場面でも「そうだとしてもなんとかかんとか、あんたも悪いよ、うんたらかんたら」と自分の非を認めて謝罪するということが出来ない人が多いようです。

なんでも謝ればよいということはありませんが、ここは違うと言われたら、そんなことですぐ切れてしまうのではなく、「本当にそうだったか」と自分の心に問うくらいの余裕は持ちたいですね。

我慢することを教わってこなかったからか、一歩立ち止まって考えるということが出来ないようです。

少子高齢化で国が滅びそうなのは分かりますが、こんな人ばかり育っているなら、ちゃんと人を育てるということを考える方が先のような気がします。

震災で、日本人の我慢強さや協力し合う姿が賞賛されていましたが、また世代が変わったらどうなるんだろう?って、ちょっと心配です。
その頃には私はこの世にいないかも知れませんけど。

もちろん、世の中にはしっかりした子もたくさんいて、ニュース性がないから取り上げられないことも分かっていますが、取り上げられる内容があまりに低レベルで、親ってこの程度でも子供を育てられるんだって人の話を聞くと、「おかしな世の中だなぁ」と思う今日この頃です。