あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

自分の心が決めること。

作家の岩井志麻子さんが出演しているTV番組内で「確かに~」と思うことを言ってました。

一言一句同じではないですが、引用します。

「誰かが“今、深く深く苦悩している人がいない。みんな不平・不満を言ってるだけ”というのを聞いて、確かに自分も深く物事を考えて悩んでいると思っていたけど、単なる不平・不満なんじゃないかということに気づいた」

「本当に嫌だと思えば、どんな手を使っても人はそこから逃げるし、本当に欲しい物はなんとしても手に入れようとする。回りでこんな会社辞めてやるといっても辞めない人がいるし、離婚する離婚するといってもしない人がいる。絶対に辞めたいと思えば、絶対やめるし、本当に離婚したいと思えば絶対離婚するし、本当にそうしたければ、行動に移すと思う。それをしないでいるというのは、結局不平・不満をいいながら現状に満足しているんじゃないか」

この話は、今の私の心に釘を刺されたような気がしました。

私は深く苦悩しているとは思っていませんでしたが、不平・不満をいいながらも、現状に甘んじていたというのは本当のところです。

自分でもそれを分かっていましたが、ある意味今までやってきたのだからという自分自身への甘えとか、そういうものがあって何かに踏み出すというのを避けていました。

自分が本当はどうしたいのかというのが見えていなかったからと思っていたのですが、最近そうではないということに気づきました。

人によって色々なパターンはあると思いますが、私の場合は「本当の壁」にぶち当たらないと「何かが見えてこない」ということに気づいていなかったと思います。

自分の目標とか夢とか、そういう物って子供の頃だとなれる、なれないに関わらず、例えば宇宙飛行士になりたいとか、映画スターになりたいとか、現実とはまったく関係なく思っていたり、もう少し具体的になってくると自分は宇宙飛行士にも映画スターにもなれそうにないなというのがあって、じゃぁ、なんだろうとなった時、こういうことに興味があるから勉強してみようかとか具体的になっていくのですが、やってみても自分にはそういう才能がないと気づいたりして、もっと現実的になると学校出たからサラリーマンかなみたいな生活になっていくと思うんです。

サラリーマンが悪いとかそういう意味で使っているわけじゃないですよ。

自分がもしかしたらそっちに行かれるかも知れないのに、とりあえず大学出たし安定して親を安心させたいから会社員になるかなっていう動機の人って案外多いんじゃないでしょうか。

それはそれで、その人が「そうしておいて良かった」と思えれば、まったく構わないわけです。

私の場合、「創作する」ということについて、なんとなくずーーーっと長いことこだわりがあって、趣味的にでもいいから、何かに関わっていきたいなと思っていました。

ブログとか、誰も読んでないかも知れないけど、淡々と続けているのは、そういう表現の場を活かしたいという思いが強いからです。

今の仕事が中途半端にそういう「創作」に関わるようなことに携われていることから、なんとなく嫌でも、不満を言いながらも、お給料これだけもらえるし、旅行もできるしまぁいいか的にずっと来ていて、結局は現状に満足とまではいかなくても、「絶対こうしたい」というところまで考えるような事態にはなっていなかったわけです。

でも、最近、自分の心が劇的に変化したのは、「この中で満足するような人間だったら、私は人としておかしい」って、本気で思うようになってきました。

会社の仕事なんて、どこでも忍耐とか意に沿わないことをして「我慢料」としてお給料を貰うのですから、美味しい仕事だとか楽な仕事なんてものはないので、会社や仕事自体が単純に嫌だとかいうより、あわよくば人を陥れてやろうとか、裏で悪口をいって人の知らないところで悪人にしてやろうとか、何をやっても自分の価値観以外で人を見られない上司のしたで働くとか、諸々、そういう人たちに囲まれているという環境の中で、それでもやり続ける価値があると自分自身が思える仕事なんだろうか・・・と。

もしこれが、もっと自分がこだわりたい仕事だったら、同じ我慢でも違う風に感じたんだと思います。

昔は、自分が色々とアイデアを出したりできる仕事に就いていたのですが、上司の2人が最悪の相性で、それに巻き込まれて病気になりそうになり、好きな仕事だったのでなにくそ!と頑張っていましたが、心底疲れきって退職しました。

若い頃だったので、対処の仕方も下手だったからだと思います。
今だったら、もっと対処の仕方もあっただろうなと経験というのは本当に大事なものだと思います。

ただ、今のこの状態は、なにくそ!と頑張ろうと思える内容ではないから、負の部分が自分の許容範囲を超えてしまった時に「何やってんだろう」という思いだけが強くなってきてしまったのだと思います。

今のような仕事をし続けたくないということであると、通常の転職とはまったく違います。

年齢的にすぐに仕事をやめて親に心配を掛けずに生きていくということは難しいかも知れないけれど、方向性を定めて腹を決めるということでも、絶対に違ってくるという思いが日に日に強くなって、来年は後輩に色々道を譲る部分も多いので、それをきっかけに徐々に自分の好きなこだわりの部分を増やしていこうと思います。

これは正直お金には結びつかないので、会社を辞めるということになったらかなり収入は少なくなるだろうと思います。

貧乏には慣れているといっても、ご飯が食べられないのでは困るので、短気を起こしてすぐというのはしませんが、来年のスタートから辛くても自分がこだわれる部分の時間を増やすということに専心したいと思います。

そのための勉強もするし、ネットワーク作りもしていくつもりです。

それだけでも、単に愚痴だった不平・不満が違った方向に行く気がします。
今まで流されて「まぁ、これくらいならいいか」とやってきたことから、「これは必ずやろう」という部分を大きくしていくことで、腐った世界が少しでも浄化されていくのかなと。

結局、どこか外国に移住するわけでもないし、今住んでいるところを引っ越す話でもないし、すぐ会社を辞めて路頭に迷うかもということでもないとすれば、自分が今いるところが浄土だと思うか、穢土と思うかは、他人でも誰でもなく自分の心が決めることなのですから。

まぁ、以前もそうでしたけど、「最後は金じゃない」というのが私の心情なので、きっとお金持ちにはなれないなということだけは絶対の確信がありますね(笑)

若い頃は、「え~い!金なんかいらねぇ!こんなことやってられっか!」っていうので本当に会社辞めてましたから。

明日からどうしようかなぁーと絶望するような状況なのに、心は五月晴れのごとく晴れ晴れとしていたんですから、若いっていうのは本当に素晴らしいものですね。

過去を振り返ることは一切しない私ですが、それだけは心底そう思います。

でも、若くなくても頑張って生きていかなくちゃいけないんですから、お金も必要だけど、心が腐るくらいなら、本当に食べて行かれて、たまに頑張って旅行できるくらいで十分なんだと思います。

それよりも、辛くても「これが出来て幸せだから頑張ろう」って思えることが自分にあるかないかが大切なんだと。

出世したいとか仕事で成功して金持ちになりたいとか、そういうのはまた別の話で、まったく上昇志向がないというのもどうかと思いますけど、「心が満足」それが自分に合っているのだから、まぁ、よしとしてください。

上のパラは、何を話してもビジネスにしか結び付けなず、口で言ってる割には他人の生き方の多様性を認めない上司への皮肉です(笑)