あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

問題はね、言葉の選び方だとおばちゃんは思うのよ。

※時事ネタなので、あとで消しちゃうかもしれません。

議論じゃなくて、すぐ謝罪

最近、人がどう書いたとかこう言ったとかいうことに敏感に反応して大炎上なんてことが多くなりました。

人は意見が違っていて当たり前なんだから、どういう内容であっても、適切に議論ができる状況を作ることが健全な世の中だと思うのですが、どうもいちいち「差別だぁ~!」とか「〇〇だぁ~!」とかって大騒ぎして、謝罪しろだのなんだと面倒くさい連中が増えた気がします。

そういうのを相手にするのが面倒だからか、すぐ謝罪で幕引きって感じで、「いや、自分の意見がそういう意見なんだったら、気分を害したじゃなくて、その反論について納得したとかそういうことが大事でしょ」と思ってしまいます。

まぁ、デートで男が奢るとかなんとか、しょーもないことで炎上して、「どーでもええやん」という低レベルの話もあるから、なんとも言えないですけどね。

ちなみに私の若い頃は、男性が女性に奢るのはほぼ当然の世の中でした。

ほとんどの人たちは、結婚したら専業主婦が”普通”だった時代ですから、女性の給料なんてたかが知れていたし、男性はしっかり稼げていたので「働かないのは怠慢だ」なんて女性に言う男性はいなかったし、デートでお金を出させる男なんて会ったことなかったですよ。今は結局、どちらも低賃金で一方的に奢るのが大変というのが根本な気がします。女性も「奢られて当然」と思うのは自由ですが、そういうことで文句を言わない稼いでいる男を狙うしかないですよ。すべての男性に「奢って当たり前」はこの賃金状況ではありえませんね。

生産性がないとか老人は自害しろとか

国会議員の杉田水脈さんがLGBTQの人たちを「生産性がない」って書いたやつとか、最近ではイエール大学助教の成田なんとかって人が「老人は集団自決しろ」とか発言したとかで炎上していましたっけ。

杉田さんの文章は全文読みましたけど、成田さんの発言はどういう風にされたものかとか前後がどうだったのかわからないので、それ自体に言及はできないのですが、もちろんどちらも結構な数の賛否があるわけです。

このおふたりをかばっている人も大勢いるし、それを読むと「なるほど」と思うこともあるのですが、そういうことより何より、自分が言いたいことをこんな言葉を使ってしか表現できないのはおかしくないか?・・・というのが私の意見です。

真意はどうあれ、悩んでいる人がいるのは事実なのに生産性がないという言葉をぶつけるのはどうなんだろうか。

もちろん、当事者の人たちで「本当にその通り」って言ってる人がいるのも聞きましたけど、生産性なんて人に使う言葉でもないんじゃかなと。

老人は集団自決についても、こんな言い方をしないとあなたの言いたいことが表現できないのは、なんか品性ないわねって思っちゃうのよね。