インターネットの動画サイトで、三輪明宏さんが色々と話されているのを観たのですが、「愛」について語っていらっしゃるのが印象的でした。
「最近の若い女は自分の好きな男にアレして欲しいとかコレして欲しいとか欲求ばっかりでしょ?それは愛じゃない、タダの恋よ。欲望だけ。愛っていうのはね、すべてを許せるの。自分がこの人と思ったら、相手が外で何していようが関係ない。だって自分がその人を愛してるわけだから」(手の振りつきで想像してください)
この要約が間違っていないことを祈るのみですが、三輪さんは「愛するということ」は、すべての欲望から解き放たれて、自分が相手を思い続けることとお話されているのでしょうか。
自分にはそういう相手がいないので想像でしかないのですが、まぁ、年齢も重ねた今なら、相手にいちいち「ああして欲しい」なんて特に思わないかも知れないけど、「外で何しててもいい」って、それはなかなか思えないかなぁ。
恋愛というのに疎いというのもありますが、そういう相手がひとりいたら、それでもういいやと思うタイプなので、縛ったりすることはなくても、one of themの人を「私が愛しているんだから」と大きな心で見たりするのは無理かも知れない。
いえ、はじめからone of themと分かっているなら「大人のカンケイ」と割り切れると思いますけど、真剣に思っている相手(一応、相手もこちらを見ている)だったら、とても穏やかではいられないかも知れません。
三輪さんがよく話をされるフランスの国民的シャンソン歌手エディット・ピアフは、生涯の大恋愛の相手がプロ・ボクサーのマルセル・セルダンでした。
でも、彼は出会った時は「妻帯者」で、家族と別れる気は一切なし。
エディットも彼に「妻と別れろ」ということは言わず、マルセルが飛行機事故で亡くなった後も、その家族を援助したりもしていたそうです。
まぁ、あっぱれとは思いますけど、平たくいえば「不倫」ですよね、コレ。
生涯一度の相手と思う人に家庭があったら、そりゃー自分が我慢するしかないわけですし、男は男で都合良く「愛」だけいただきってことなんでしょうか。
相手の男は妻も愛人もどっちもOKというのも「私が愛しているのだから」と許すってことなんですよね。
これって、叶姉妹のお姉さん役の恭子さんがいつも「男を独り占めなんてしない、シェアです。オホホ」というのと同じなのかしら?(笑)
ああ、私にはやっぱり、愛なんて全然分からない。