先日の「たかじんのそこまで言って委員会」では、「普通じゃない」というのがテーマでした。
社会に色々と起こる事柄について「普通」か「普通じゃないか」を論ずるのですが、その中に最近起こった事件として女子高生のストーカー殺人が取り上げられていました。
女子高生がFacebookで知り合った元交際相手に殺されてしまうという悲惨な事件でしたが、この事件は普通か普通じゃないかという問いに多くのパネラーが「普通」と答えていました。
Facebook云々というよりも、恋愛をうまく終わらせられなかったことによってエスカレートした犯罪ということで、昔からある「別れ話のもつれ」的なもので、特に新しい犯罪というわけではないというのが大方の意見でした。
パネラーの田嶋陽子さんがおっしゃっていたように「若い頃の恋愛」というのは、とかく「人生にはこれしかない」みたいにエネルギーを使うため、うまく終わらせられない人も多いというのは、確かにそうかも知れません。
特に若い頃は、好きな異性が世界のすべてになったり、相手がいてこそ自分が生きていられるなんて、年齢を重ねてから思い出すと「アホやなぁ」と笑えるようなことを考えたりしていたものです。
確かに人間ひとりでは生きられませんが、特定の誰かがいないと生きていかれないなんてことはないんですよね。
大人になっても狭い視野から抜け出せない人もいるでしょうが、大概は「私も若かったのね」で終わり。
生きていくためには、色々ありますから、愛や恋だけで生きるなんてありえません。
でも、とかく若い頃はあまり背負っているものも多くないからか、恋愛=人生みたいになることも多いのでは?
それはそれで多くの人が通る道かもしれないですね。
ただ、今回の問題点として、名前は忘れてしまいましたが、同じ出演者の女性キャスターがFacebookなどSNSについて語ったこととして、確かにそうだなと思うところはありました。
例えば、Facebookで友人のページを見ていると「どこそこで誰とこんなことをした」とか掲載されている事柄は“楽しかったこと”などが大半で、多くの人が見るページですから、真剣な悩みごとなどを書いている人はいません。
何も考えずに見れば、その人は人生に楽しいことばかりに見えるわけです。
でも、実際は悩みもあるし、辛いこともあるはず。
普通の精神状態だったら、そんなことを分かった上で読んだりするものですが、例えばこれが喧嘩別れした相手に読まれたとしたらどうでしょうか。
自分はこんなに辛い思いをしているのに、別れた相手は毎日どこへ行ったとか何を食べたとか楽しそうに写真や文章をUPしている・・・。
実際には、相手だって辛い気持ちを持っているかも知れないのに、そういう精神状態では、それが推し量れないなんてこともあるのではないでしょうか。
可愛さ余って憎さ100倍なんていいますけど、正にそうなってしまいそうです。
自分中心に物事を考えるというのではなく、ちょっと立ち止まって相手のことを考えることができれば、恋愛の末の殺人なんてことは起こらなくなるような気がします。
最近、日本的な考え方や教育が見直されていますが、なんでも自分中心という考えよりも、相手のことをまず考えるという日本的感覚って、やっぱり大事な気がする今日この頃です。