渋谷西武にあるアナスタシアに眉のお手入れに行った際、せっかく渋谷に出たのだからと映画を観ることにしています。
今回は、Bunkamuraル・シネマで上映中の「ダウト~あるカトリック学校で~」を鑑賞しました。
メリル・ストリープ(プラダを着た悪魔)、フィリップ・シーモア・ホフマン(カポーティ)、エイミー・アダムス(魔法にかけられて)という豪華キャストでもあり、カトリック学校を舞台にした映画ということで、日本ではほぼ成り立たないストーリーですし、予告編を見ても「これは見なくては」と思わせてくれる映画だったのです。
<あらすじ>
時代は、若き大統領ジョンFケネディーが暗殺された翌年の1964年。
ブロンクスにあるカトリック系の学校が舞台です。
世界が変わろうとしていく中で校長のアロイシス(メリル・ストリープ)は、古き伝統を厳格に守ろうとする修道女。一方、開かれた教会を目指し、変革をかかげるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)に対して、もともとあまり良い印象を持っていない。
ある日、若い教師シスター・ジェームス(エイミー・アダムス)が、フリン神父が学校の黒人の男子生徒を個人的に呼び出し、生徒が教室に帰ってきた時にお酒臭かったことを校長に報告する。
また、シスター・ジェームスは、フリン神父がその生徒の下着をロッカーに戻したところも見てしまい、フリン神父が男子生徒と不適切な関係を持っているのでないかと疑い、そのことを聞いたシスター・アロイシスは、進歩的で人望の厚いフリン神父を教会から追い出そうと決める。
<感想など>
この映画は、カトリックの教えについての映画でもなく、教会ってこんなところとか、そんな話でもなく、人間が人を信じるということがいかに難しいかという問いを投げかけてくる映画です。
フリン神父は、非常に親しみやすい人柄で、変わりゆく社会に沿って、教会をもっと開かれたものにするよう積極的に親や生徒に関わっていきます。校長のシスター・アロイシスは、ボールペンは悪筆を生むとして、生徒に使用を許さないほどのカチカチな女性で、フリン神父とは対照的な人物。
メリル・ストリープの名演技を堪能できるキャラクターに仕上がっています。
舞台劇がオリジナルということで、やや誇張された場面が多いですが、シスター・アロイシスとフリン神父が対決する場面など、さすがにうまいなぁ~とうなってしまいました。
結局、フリン神父が生徒と不適切な関係を持ったかどうかというのには、証拠など出てこないんですね。
あまりに対照的なふたりだから、最初は、この校長の妄想かも?と思うのですが、ある場面から、シスター・アロイシスが表面だけの冷血漢でないことが分かるのです。
そして、生徒がフリン神父に親しみを感じるのは当然と思いながらも、話が進むうち「もしかしたらあったのかも?」という気にもなってしまい、観ている人間の「信じる心」も試されているような気にさせられます。
対照的なふたりのそばにいるシスター・ジェームスは、「信じたい」という気持ちを表し、こんな時どうするかという、一般大衆の身の振り方を見せるような役どころです。
また、「そうかもしれない」という風に思わせてしまう部分は、黒人生徒の母親のある告白が重要な鍵になっています。
最後の最後に校長が吐き出すセリフが深く胸に残る映画でした。
ダウト ~あるカトリック学校で~
製作年度: 2008年
監督: ジョン・パトリック・シャンリー
キャスト:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、
エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス
上映時間: 105分