あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

Judas - 今さらながらにLady GAGA -

我らがDiva、Lady GAGAのPVを見ていて思ったのですが、やはり、欧米の文化って多かれ少なかれキリスト教(宗派はともかく)に裏付けられたものだったりするので、映画やこのようなパフォーマンスでも何かしらの表現としてキリストや聖書に纏わる話がモチーフとして、多く使われていたりしますよね。

私はキリスト教徒でもないし、あまり興味もないのでほんの表面しか知りませんが、表面だけでも知っているのと知らないのでは、見た時の感動が違うような気がします。

ホラー映画友の会主催の私が一番好きなホラー映画は「エクソシスト」。
もう、元祖と言っても良い古典映画ですが、DVDになって監督のコメント入りで通してみた時、そんなこと考えてこの映画を作っていたのかぁ~と関心したものです。

気づかなかったとして(というより気づくの無理かも?)も、まったく本編が色あせるわけでもなんでもないのですが、後にエクソシストとして悪魔と対決し、結果的に死んでしまうダミアン神父が登場する各場面で、神父が登場する時は必ず、「下から上ってくる」(坂を上がる、階段を上るetc.)設定となっていて、これは神父という職業に掛けて「昇天」を表していたというのを聞き、「そりゃー分からないわ」と笑ったものです。

でも、このようなシーンにそんな裏の意味を持たせるということは、ベースに知識などがなければできないことですし、教養という意味でも、大まかに知っていると面白いと思ったものです。

Lady Gagaの曲で「Judas」というのがありますが、言葉だけだと「裏切り者」という意味があります。

なぜ、Judas=裏切り者なのか。

これは、イエスキリストの弟子12人のうち、イスカリオテのユダJudas)がキリストを裏切って、キリストの伝道を喜ばない既存の司祭たちに銀貨30枚で師匠を売ってしまうというエピソードから来ています。

もちろん、この歌がイコールでそれを表現しているというよりも、それをモチーフにした曲+パフォーマンスという意味で聖書が効果的に使われているということだと思います。

そのまんまじゃ、学芸会ですから(笑)

GagaJudasのPVは、イエス一行がエルサレムに入場してから最後の晩餐を終え、捉えられるまで、またその他有名な場面などが散りばめられています。

When he calls to me, I am ready
I’ll wash his feet with my hair if he needs
Forgive him when his tongue lies through his brain
Even after three times he betrays me

彼が私を呼ぶなら、もう用意ができてるわ
必要なら、私の髪で彼の足を洗ってあげる
彼の舌が思うままに嘘をついても、許してあげましょう
たとえ3度彼が私を裏切ったあとでも

「私の髪で彼の足を洗ってあげる」という場面は、イエスがシモンと呼ばれる人の家に食事に招かれて行った時、罪深い女(マグダラのマリア)がイエスに近づき、高価な香油を注ぎ、また自分の黒髪で彼の足を拭ったとされる場面です。
その際にユダがそれをたしなめるようなことを言うのですが、「したいようにさせなさい」とイエスに諭されます。

PVでは、バスタブのような中にイエス役の人とユダ役の人が入り、その真ん中でGagaが歌うのですが、その際にイエスの足に湯を掛けるシーンや、ナルドの香油と呼ばれる「香油をかける」というシーンがイメージとして象徴的に使われていました。

また、「たとえ3度私を裏切った後でも」というのは、処刑前夜の最後の晩餐の際、イエスが弟子のペテロに向かって

「ペトロよ。あなたは明日の朝鶏が鳴くまでに、私のことを知らないと3度言うであろう」

と予言し、ペトロは否定しますが、実際にイエスが逮捕された後で「お前も仲間ではないのか?」と聞かれると、「そんな人は知らない」と3度否定したと書かれている場面です。

信頼って、何なんでしょう・・・・(思い切り話が逸れる)。

I’ll bring him down, bring him down, down
A king with no crown, king with no crown

A king with no crown(無冠の王)というのは、イエスを裏切ったユダについて描かれた絵画が様々あるのですが、イエスをはじめユダ以外は頭に光の輪が描かれているのに、ユダだけはその輪がないのです。

また、イエス役の人が前に進み出て、ステージに上がろうとするとき、ユダ役の人が頬にキスをするのですが、これは「ユダの接吻」と呼ばれる場面で、大勢の中で「誰がイエスなのか」を示すために、ユダが進み出てイエスに接吻することで「この人がイエスだから、間違えないで捕まえてよ」という合図にしたところです。

Gagaは、超のつくお嬢様学校に通っていたそうなので、きっとこういう聖書を学ぶ時間というのは、たくさんあったんでしょう。
また、本人はカトリックみたいですし。

正直言って、曲だけとなると大したインパクトはない(歌詞も単調)けれど、イメージを膨らませたパフォーマンスで見事に曲の世界を表現しているため、曲自体の価値もぐっと上がっているような気がします。

このPVは、冒頭から聖書からの場面を彷彿とさせるシーンで始まるのですが、今回は、その全部を解説することが目的ではなく、その世界観を楽しむためにご紹介したので、気になる方は色々と調べてみるのも面白いと思いますよ。

まずは、その素敵なパフォーマンスを今さらですが、ご堪能ください。