あじゃみんのブログ

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LGBT理解増進という名の社会分断と利権にまみれた恐ろしい法案が衆議院を通過しました。

 

外圧に屈した岸田総理

通称LGBT理解増進法が衆議院で可決されました。

「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意」などという野党の修正案を丸呑みし、早期採決に向けて内容を修正しました。かといって、差別がどういうものかの定義も示されていません。あとで政府に対し「その運用に必要な指針を策定する」ということも明記させたので、一定の犯罪抑止や地方の暴走を抑えることができると言っている人も多くいます。ただし、これで不安がぬぐえたかといえば、まったくそんなことはなく、7年も議論したと言ってこんな法律を作っておきながら、指針はこれから作りますでは、多くの国民の疑問や不安に応える内容にはなってはいません。一定数評価する声はあるものの、実際どこまできちんと指針が示されるのかはまったく不透明です。

このような状況でなぜそこまで急いで法案を成立させるのか、結局岸田総理が外圧に屈したというのが本当のところでしょう。

駐日アメリカ大使のあからさまな内政干渉にひとこともなく、一緒にレインボーパレードに参加していた稲田朋美議員など複数の議員のやりようを見れば明らかです。

この修正案があるからと、以前は威勢のいいことを言っていた自民党議員も党議拘束という茂木幹事長の恫喝に屈して、「お腹が痛い」と採決時に退席した高鳥修一代議士と本会議を欠席した杉田水脈議員以外は全員起立(賛成)したようです(ここは後で修正もあり得ますが、産経の報道によればこの2人以外は賛成のようです)。

自分たちの案を何も生かせなかった立憲民主党と日本共産党は反対しましたが、このふたつは極左ですから、論外です。また党として反対している参政党は、国会議員が参議院で1人しかいないので、この採決に参加しておりません。

次は参議院ですが、こちらも通るでしょう。

青山繫晴議員は、造反することを明言していますが、表明したのは修正案が出る前ですし、この状況で採決する際に明確に造反するのか、それとも高鳥議員のように苦肉の策を取るのかはわかりません。

反対票を投じることはできないという党議拘束がかかっていますので、高鳥議員の行動は肯定できますが、明確に反対すると表明していた青山さんがそのような意思表示であったならば、今後の応援を考えようかと悩んでいます(大事なのはこの法案だけではないので)。

法の下の平等は既に担保されている

日本国憲法は、第14条で、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、 信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に おいて、差別されない」ことを定めています。

つまり、どんな人も差別してはいけませんという条文が既にあるのです。

にも拘わらず、今、国会で通称LGBT理解増進法という性的マイノリティについて理解し、不当な差別をしてはいけないことを定めた法律が通りつつあり(実際通るでしょう)、この法案が持つリスクについて、多くの懸念点が払拭されないまま、当事者である性的マイノリティの人々や女性や子供の権利、安全が脅かされようとしています。

性同一性という曖昧な言葉をさらに曖昧なジェンダーアイデンティティという横文字に変え、差別を「不当な差別」に変更しました。

ここでいう差別は、差別化をはかるという「区別」としての利用ではなく、差をつけて扱うという差別された側が不利益を被ることを意味します。

それに不当などという言葉を付け加えたところで、意味は変わらないのです。

理解増進法ではなく犯罪助長法

たぶん、このことに関心がない人たちは、「理解して差別しちゃだめっていうのは当然のことだし、悪いことじゃないんじゃない?」と軽く考えていると思いますが、ことはそんな簡単なことではありません。

この法案を推進してきた議員たちや声の大きな活動家(自称支援者)たちは、海外などでさまざまに起こっている(日本でも起こっている)犯罪について、日本でもそうなり兼ねないという懸念点に対して「あるはずがない」と一刀両断し、「そうなったらそれは犯罪であり、犯罪は別の法律で取り締まる」などといって明確なガイドラインも示さぬまま、多くの人々(女性だけではなく男性も)やLGBTの”活動家”ではない当事者たちの意見には耳も貸していません。性自認が一致しているLGBはともかくTまで入れてしまっているがために「性自認が本来の性と違う」という目に見えない心の問題に対して、「どうやってTのふりをして自分の性的欲求を満たそうとする変態を本物と区別して見分けることができるのか」という問いには、まったく答えることができていません。逃げの一手です。

犯罪が起きてからでは遅いと言って反対している人々の懸念に「犯罪が起きたら取り締まる法律がある」と意味不明なことを言い、反対している人々を「ネトウヨ」と馬鹿にしているのが「国民の生命と財産を守る」はずの国会議員たちなのです。

実際に起きた事件

先日、まだこの法案が通ってもいない中、既に男性が女性用の風呂に入って「私は女だ」と主張する事件がありました。もちろんこれは犯罪ですからその男は逮捕されましたが、この法律ができたとしたら、どうなるのでしょうか。一番の急先鋒である稲田朋美議員に対して「恐れていたことが起きたではないか」と問う人々に対し、稲田議員は「犯罪者は想定していません」と答え、さらなる怒りを買っています。

自分自身が女性であるにも関わらず、このような事件の想定もせず、ただ法令があるから法律があるから、そんなことはあってはならないというだけで、実際に起こったら「そんなことをする犯罪者の想定はしていない」などと女性たちの恐怖心や女性を守りたい男性たち、「みんながそんなことをするわけではない」と憤る当のトランスジェンダーたちの気持ちに一切寄り添ってはいないのです。

安倍総理が存命中は、保守のふりをしていた稲田議員ですが、こちらに舵を切ってから、却って票が増えたと言ってたというのをジャーナリストの有本香氏が証言していましたが、同じような法案が廃案になった以前と違って、活動家たちは「票」や「支持」を武器に議員たちに働きかけができる仲間を増やしてきているのです(もちろん、当事者たちがそんなことをしていると認める人はいないだろうというのも記しておきます)。

確かに日本は周回遅れ

この法律を語る時、推進派の議員は海外ではこのようなLGBTの人たちに対しての差別はあってはならないと法整備を進めているところもあるのに、日本だけそれがない。

だから、日本でもしっかりとした法を定めて、その人たちが差別されないようにしなければならないと言っているのですが、例えば欧米でどんな法律があるかといえば、アメリカでは単に日本国憲法と同じように州法で定められている平等に「性別」も入っているからと性自認だけで性別を替えられると解釈してトランスジェンダーが女性のスペースに入ってくることに懸念を持つ人を「それは差別だ」と、責められる社会になっているのです。性的指向について規定している法律はあっても、性自認について規定している法律があるのはカナダだけで、実際にはアメリカに性的指向や性自認に特化した法律はないのです(単に表の下の平等を拡大解釈しているに過ぎない)(LGBT法律整備急げ!の嘘)。

そして、その解釈がだんだんと拡大していき、スポーツの世界でも「私は女」と言って男性の体のまま(つまり男性の身体能力のまま)女性のスポーツ大会に出て、男性の競技大会では箸にも棒にも掛からない存在だったものが、女性たちと競うことで優勝したりしだしているわけです。

これでは本来の女性はたまったものではありません。せっかく今まで努力してトレーニングし、オリンピックや何かの競技大会での優勝を目指してきたのに「男性」の身体能力を持った自称女性がその努力を無にしてきているのです。

今までは、それに抗議した人たちが「差別主義者」として糾弾され、資格をはく奪されたり、職を解かれたりしていました。

しかし、どう考えても身体的に女性よりも筋力も優る男性が女性の競技に「混合」ではなく、「同じ女性だ」と言って優勝をかっさらうのはおかしいということで、トランスジェンダー女性が女性スポーツに参加するのを禁止する法律が複数の州で作られ始めているのです。このようにトランスジェンダーの過剰な権利行使にNOという人が表に出てきている欧米の現状を無視し、今この時期に理解増進だのと差別の定義もせずに法案にしたのは、確かに日本は遅れているのです。

恐ろしいのは子供への教育という名の洗脳

今回の法律で最も恐ろしいものは、子供への教育・・・という名のトランス洗脳です。

欧米でも活動家が教育現場にまで触手を伸ばし、この手の教育は行われているのですが、差別をしてはいけないということよりも、男女間だけではなく、男性同士、女性同士のセックスの仕方まで教え、裸の男女、男性同士、女性同士がベッドに入っているイラストを使って、子供たちに「これは正常なことなんだ」と教えているところもあり、中には実際のセックスの描写(アナルセックスなど)もあったりして、小学生にここまでする必要があるのかと親たちが「自分の子供にこんな本を読ませたくない」と抗議をする人々も出てきました。

知らない間にそんなことまで年端も行かない子供たちに教えて、どういう弊害があるかといえば、例えば男の子が同じ性、つまり男の子に対して「好きだ」と思ったとして、既にそういうのはゲイだとかレズだとかだと教えられている子供たちは、その知識によって自分はXXではないのかと悩んだりします。例えば男は青、女はピンクという間違ったレッテル貼りは確かにありましたが、別にピンクの嫌いな女の子がいても特に問題になったわけではありません。私なんて、小さい頃の写真はウルトラマンみたいなTシャツに短パンを履いていて、ある場所で「ぼうや」と呼ばれたんを昨日のことのように覚えています。その頃の写真を見せた人は、みんな「弟さん?」と言っていました。

私が好んでいたという記憶はないので、いったいなぜそんな服を着させていたのか母に聞いたことがあるのですが「だって、女の子用の可愛い服が似合わなかったんだからしょうがないでしょ」と言い放たれました。

怖いのは子供へのトランスジェンダーというレッテル貼り

気持ちの問題だけならまだいいものの、そんな風にちょっとみんなの思っている男性像や女性像と違う認識を持つだけで、下手な知識を植え付けられている子供たちが「自分は本当は女の子(男の子)として生まれたかったのでは?」とか、もっとはっきり「自分はトランスジェンダーなのではないか」と悩むわけです。

それでカウンセリングを受けに医師のもとを訪れるわけですが、そういう医師たちは、子供の気持ちを「尊重」して、あなたはトランスジェンダーだと決めつけ、ある程度の年齢の子供には、親の同意も必要とせずホルモン治療や性転換の道を示したりするのです。またそのような子供たちを尊重することが是とされている中では、親も「自分の子供なのだから、理解をしてあげなくては」と拙速な治療や性転換を認めてしまっている親も多いのです。

しかし、レッテル貼りをされて「自分はトランスジェンダーなんだと」乳房を切除したり、ホルモンを投与したりした子供たちが、大きくなるにつれてそのことに違和感を抱き、そんなことをしても性別は変えられないことに気づいて脱トランスを宣言する人たちも出てきています。

しかし、ホルモン治療により委縮した性器は元には戻らず、男性であれば自分が将来女性と結婚して子供を持つという健康であれば望むことが叶わなくなってしまっているのです。

思春期の揺れ動く心を持つ子供たちを積極的にトランスジェンダーとして扱い、ホルモン治療や手術を勧める医者たち。

後で自分は違ったんだと気づいた子供たちの過去を取り戻すことはできません。

実際に「自分は同性愛者なんだ」とある程度の年齢になってしっかりと自覚できるようになったら、希望する人にはホルモン療法などを紹介するのはありかと思いますが、心が揺れうごく多感な時期の子供に「あなたはXXXだ」と心のプロフェッショナルである医師がレッテルを貼るのは、まったく理解に苦しみますし、絶対に反対です。

きちんと自分を客観視できる年齢になるまでは、たとえ本当にそうであっても体を傷つけるようなことを勧めたりすることなく、「誰でもが平等であり、差別はいけない」というだけで十分であるにも関わらず、小さな子供にポルノまがいの性描写を見せ、一時的なことをあたかもそうであるかのように思わせる恐ろしい教育が今、「ジェンダー平等」という名のもとに日本の子供たちに迫ってきているのです。

この法案の陰で行われている恐ろしい裁判

性別というのは、染色体の組み合わせによって決まっているだけで、そこに感情や気持ちの入り込む余地はありません。

両親からもらった染色体の最後の組み合わせ(性染色体)がXXの組み合わせは女性、XYが男性、これは性転換手術をしたところで変えることはできません。

性別を替えたように見えるというだけで、本物の男にも女にもなることはできないのです。脱トランスの人々は、そのような本質に気づいて「こんなことをして自分を傷つけるのは間違っていた」と言っているのです。

かといって、心は女性(男性)だと言っているだけで性別変更ができる世の中もかなりおかしいです。

日本学術会議は、現在の性別変更の要件である「手術」の強要をやめ、自認だけで戸籍の性別が変えられるようにすべきという提言を行い、実際に裁判が行われています。

こんなこと、知っていました?

今回のことを色々調べている時、偶然知ったのですが、恐ろしいことが多数の国民が知らない間に行われているわけです。

すでに最高裁で話し合われているわけですが、最近の司法はかなり露骨に左に寄っているので、この通称LGBT法案成立によって、その話し合いに変な影響がないよう祈るばかりです。

体は筋骨隆々の男性のまま、「私は女」と主張しただけで、戸籍の性別まで変更されたら、それこそ「正真正銘の女性」ということで、女性用トイレにも温泉にも自由に入れるようになります。

というより、そうなったらそれができなければ差別になります。

読んで欲しい活動家以外のルポや主張

「LGBT」というレッテルを貼られて。
性的少数者の当事者である千石杏香氏のノンフィクション
海外での問題や自分自身のことについて詳細に書かれている非常にわかりやすいノンフィクション作品です。

黙殺され続けるLGBT当事者たちの本音
ノンフィクション作家 福田ますみ氏の取材記
置いてきぼりになっている本当の当事者たちの声を取材している内容です。

性同一性障害と近代自由社会(仮題)

トランスジェンダーの神名龍子氏の杉田論文についての考察