あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

通称LGBT法案、問題はそこじゃない。

※政治的な時事ネタは、気分によって削除することがあります。

 

絶賛炎上中のLGBT理解増進法案(性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律案)ですが、このタイトルで検索しても一向に出てきません。

出てくるのは、衆議院のページの「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」で、これのことをそう呼んでいるのでしょうか・・・(謎)。

まぁ、とにかくLGBTQ(LGBTQとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつ)についての理解を進めましょう、差別はダメですよという主旨の法律案と言われています。

炎上理由は、Transgenderについての箇所

今炎上している部分は、TのTransgenderについてがほとんどかと思います。

理解増進法では出てこないので、出てきたものを参照すると第一章の総則の(目的)のところにこんな記述があります(赤字はこちらで加工)。

第一条 この法律は、全ての国民が、その性的指向又は性自認にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する基本的な事項、行政機関等及び事業者における性的指向又は性自認を理由とする差別の解消のための措置等を定めることにより、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等を推進し、もって全ての国民が、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する豊かで活力ある社会の実現に資することを目的とする。(参照元

生まれた時の生物学的な性というものと自分が自認している性が一致しない人ということで、男性の体のまま女性の格好をする(いわゆる女装)やその逆もあるでしょうが、そういう方たちについて差別しないように、差別があるとしたら解消するような措置を取る・・・みたいな意味の法律案のようです。

最初に出てくる「全ての国民が、その性的指向又は性自認にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念」は当然ですし、どんな性的指向を持っていようがどうだろうが、差別してはいけないというのは、みんな理解していますよ。それに、最近は性的指向の違いについて、差別意識を持つ人はかなり減ってきているのではないでしょうか。

先日、トランスジェンダー当事者の男女が記者会見を開き、「性的少数者を巡るLGBT理解増進法案について「『心は女だ』と言うだけで男性も女湯に入れるようになる」といったデマが広がっている。」という主旨を話されました。これがトランスジェンダー当事者への差別につながるから、冷静な議論が必要だということでした。

会見では立石結夏弁護士が「公衆浴場は(厚生労働省による)管理要領で『男女を区別し』と定められている。この場合の『男女』は身体の特徴に基づく性別。全裸の時の外見から判断される性別と自認する性別が一見して異なる場合、施設管理者との調整が必要となる。男性的な身体に見える人が『心が女性』と言って女湯に入れるというのは誤り」と解説。現状で「公衆浴場やトイレについてもめ事になるケースは非常に少ない」と強調した。(引用元

不謹慎な書き方かもしれないですが、面白いのは、「もめ事になるケースは非常に少ない」とゼロではないということを言っているところです。

つまり、現状でも多少のもめごとはあるということでしょうか。

実際YouTuberで性転換手術をして女性になった方が「性転換手術も終わっていない状態で、女風呂入っちゃう人もいるみたいだし、そういうのをパス度っていって、(身体の性別じゃなくて心の性別で日常的に認識され通用する状態を表す言い方)例えば女子更衣室に入るのに”えっ?男???”みたいにならずにスルーしてもらえることを私パス度高めとか言っちゃう人がいるんだけど、それ普通に犯罪だから、マジでやめた方がいい」と動画の中で語っていました。※多少端折っているので、詳細は動画観てください。ここ以外のところもなるほどと思うところも多く、この方の動画の方が理解が進む気がしました。(引用元

もちろん、男性が女性というだけではなく、コメントでは「女が男性のトイレに入ってきてびっくりすることがある」とか「逆のこともある」というのも結構ありました。ただ、LGBT法案に反対している人はそういうただ起こっていることについて危惧しているわけではないので、ちょっと論点ずれてる気がします(このことに関しては、私もダメだと思いますけどね。おばちゃんになるとそういう意識が低くなる傾向は認めます・・いや、私は男性用のトイレなど入ったことないですよ)。

差別と区別を同一視することへの不安と懸念

レズやゲイ等がこんなに大きく取り上げられる機会がなかっただけで、これまでもそういう性的指向の違う人の存在というは、言ってみれば太古の昔(は大袈裟だけど)から認識されていました。

権利を認められていたとは言い難いし、実際差別もあって、美輪明宏さんもカミングアウトしてから罵詈雑言や石を投げつけられたり、好きだった男性がゲイということを親族に責められて自殺してしまったりと非常に苦しい体験をされたことを告白されていましたし、IKKOさんもなかなかカミングアウトができなかったのは、「おかま、気持ち悪い」などの差別的な言葉を聞くと自分がゲイだとは親に言えなかったと話されていました。

そういう話を聞けば、本当に差別というのは良くないと思いますし、私自身はそういう偏見を持ったことがあったかと問われたら、あまり気にしたことはない程度ですが、なかったと思います。偏見とかなんとかいうよりも、私自身は人は好きなように生きればいいと思っているので、いちいち誰がゲイだとかレズだとか、そういうこと自体を考えたことがないだけなので、そこまで積極的に考えて偏見がなかったということではないです。

そのような歴史を考えると差別はいけないということを教育したりすることについては悪いとは思いませんし、法的な制度がどうということを除けば、同性婚が悪いとも思いません。ただ、事はそう簡単ではないのは、現状では区別と差別が同一視されているという点です。

例えばスポーツ。なぜ今まで同じ競技でも生物学的な性である男性と女性を分けてきたかといえば、男性と女性では筋肉量も違うし、体格的な差も大きく、同じ競技だからといって男女混合で競わせた場合、体格で劣る女性が圧倒的に不利になることが分かっているからです。マラソンで同じ日に同じコースを走っても、男性と女性の順位は別々にされることがほとんどでした。また、海外では、体は男性のトランスジェンダー女性が女性のスポーツ大会に出て、男性の大会に出ていた時は表彰台に上がれる成績を残せなかったのに、女性として女性の大会に出た時は優勝してメダルをもらったりしています。そんなことはおかしいと発言した人がそのスポーツ界から追放されたりしていますが、本当にこの措置が正しいのでしょうか。

明確に区別する必要があったから分けていたことも”思っている性”がその人の”性”なんだから、絶対にその自認している性で扱わなければならないとなったら、今まで理由があって区別されてきたものをすべて変えなければいけなくなります。

これでは、多くのスポーツでトランスジェンダー女性が有利になってしまい、今までメダルを取れていた女性が自称女性に負けてしまうことが多くなる可能性が高くなりますが、それが正しいことでしょうか。

そして、一番の懸念点は、犯罪のリスクが高まるということです。

当事者の方たちは、「『心は女だ』と言うだけで男性も女湯に入れるようになる」といったデマが広がっている。」と言い、同席の弁護士も「公衆浴場は(厚生労働省による)管理要領で『男女を区別し』と定められている。この場合の『男女』は身体の特徴に基づく性別。(後略)」と言って、そんな心配はいらないと言っていますが、多くの人が言っているのは、そういうことではなく、本当に自分は女性だと思っている人本当はそうじゃないのに女性の裸が見たいとか、あわよくば猥褻な行為をしてやろうと「私は女性」と言っているだけの犯罪者予備軍をどうやったら見抜けるのかということです。

実際に海外でもトランス女性だと主張したレイプ犯を女性の刑務所に入れたら、囚人女性をレイプして結局男性の刑務所に移送されたりした自称トランスジェンダーもいましたし、日本でも「心は女」といって油断させ、複数の女性にわいせつな行為をした男が逮捕されています。

どうやっても区別ができない、体は男性だけど女性と言っている人に警戒心を持っただけで「差別主義者」と言われて不利益を被る女性も出てきて、実際の女性の権利が脅かされている現状は、後に本当のトランスジェンダーへの差別が増長する原因を作っているような気がします。

細かいことですが、先述の「公衆浴場は(厚生労働省による)管理要領で『男女を区別し』と定められている。この場合の『男女』は身体の特徴に基づく性別。(後略)」というのも、確かに男女を区別しと書いてはありますが、その男女が生物学的な性を指すということはどこにも書いてありません。(公衆浴場における衛生等管理要領等について

差別はいけないというのは、共通の認識にしないといけないとは思います。

心で思うことは止めることはできなくても、「気持ち悪い」と声に出す必要なんてないし、言ってはいけないことだと認識する必要はあると思います。

でも、自認している性が違う人を差別してはいけないと法律に明記することによって、それを以って自認した性の権利を主張され、犯罪のリスクを高めてしまったり、そのことで本来の女性が持つ危機感すら「差別」だと言われ、不利益を被るようになるなんて、本末転倒もいいところです。

(本来は女性➡男性のことも書く必要があると思いますが、トラブルの場合は圧倒的にトランスジェンダー女性のことが多いので、逆は割愛します。)

個人的には

上記に書いてきたことに沿って言えば、私は現在の性自認の違いについての記述の入った原案には絶対に反対です。というより、差別不可の教育を促進すればいいことで、犯罪や却って差別を助長するリスクのある法律を作る必要など感じません。

このことで、本来あるはずの生物学的な女性で心も女性という人たちの権利が脅かされていくことについて、非常に憤りを感じています。