あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

無観客じゃ、選手もやる気でないでしょうねぇ

リスクとは

前職で良かったことといえば、リスクについての考え方が身についたということくらいでしょうか(12年もいたのに身も蓋もないですが)。

リスクというとイコールで「危険」と考えている人もいるかも知れないのですが、「将来において危険なことが起こる可能性」という意味でも使います。

一番わかりやすい例で言えば、交通事故。

自分が交通法規を守っていても、急発進した車に撥ねられるかも知れないし、運転している場合は、何かが飛び出してきて轢いてしまったり。

自損事故もありますし、とにかく他者と関係していることを考えると自分が気をつけることでリスクを減らすことはできても、ゼロにするというのは無理です。

そうはいっても、一生交通事故に遭わない人の方が多いのですが、交通事故の場合は死亡リスクもあるので、なるべくならその危険に遭う確率を下げたいですね。

そうするには、歩いている人、自転車に乗っている人、車を運転している人、それぞれが気をつけていく以外にありません。

でも、交通事故がまったく起こらないということは、この台数の多さや道の複雑さなどを考えると、残念ながらゼロにはならないでしょう。

リスクゼロの幻想

どんな事柄にもリスクはつきもの。

大切なのは、リスクをいかに減らして快適に生活できるようにするかということです。

今、武漢ウイルスが猛威を振るっている状況では、「いかに免疫力を高めるか」というのが話題になっています。免疫力が高ければ、ウイルスに暴露されたとしても、感染のリスクは下がるからです。また、感染したとしても軽症で済むかも知れないのです。同じような環境で生活していても、感染する人としない人がいるのは、この免疫力が強弱もあるのかも知れません。

要因はそれだけではないと思いますが、みんな感染したくないということで、マスクを着用し、手洗いをして、できる限りの予防手段を講じています。

でも、感染する人はいるし、中には「こんなに気をつけていたのに、どうしてかわからない」とか「感染したのがなぜかわからない」という人もいます。

こうして見ると、リスクはいつも自分の周りに潜んでいて、何か危険なことに巻き込もうと待ち構えているような気がします。

でも、その手には乗らないぜ!と備えるのがリスクへの対処方法ですね。

ウイルスを恐れるあまり、ずっと家に閉じこもって、今度は鬱になったり運動不足で体力が低下したり太ったりと将来別の病気になるんじゃないかというリスクに見舞われている人も多いはず。このように人はなんらかのリスクには常にさらされているので、過度におびえても良いことはありません。

なるべく、そうならないように危険度を下げ、安全度を上げた生活を心掛けるしかありません。

冷静に考えればわかることですが、日本人はなぜか事が起こるとその危険度ばかりにフォーカスするクセがあるようで(これは日本人だけじゃないかも知れないですけど)、ゼロにしないと納得しないという風潮があるような気がします。

今回のオリンピック・パラリンピックも無観客とか、4年に1度の世界の祭典であるにも関わらず、まったく観客を入れずに開催するとか言っていますが、これじゃあ、選手もやる気でないですよ。

自分が結果を出せた瞬間、どよめく観客の声や拍手を聞くことでそれを実感するでしょうし、オリンピックのだいご味って、そういうところにもあるはずです。

誰もリスクを取りたがらない国民性のために、無茶苦茶な観客ゼロという判断。

どうやったら、感染リスクを下げて、オリンピックを盛り上げることが出来るかというのを政治家も専門家と呼ばれる人たちも誰も言わない。

それはもし感染者が出た場合、「お前のせいだ」と必ず言われますから、それは避けたいわけですよね。

本来はあってはならないわけですが、今回ばかりはワクチン接種が終わっている人という条件をつけてもいいでしょうし、観客を半分にして開催するとか。

いくらでも感染リスクを下げることなど出来るのに過度の「ゼロ信仰」のせいで、4年に1度の世界の祭典が史上最低の大会になるのは、残念でなりません。