こんなことを書くとすっかりトシがバレちゃいますが(いえ、別にバレてもいいけど)、1978年に発売され、全世界で爆発的ヒットとなったシンディ・ローパーの Girls Just Want to Have Fun(当時の邦題は「ハイスクールはダンステリア」という変な題だった)が流れた当時は、高校生でした。
片一方の髪を剃って、反対側を伸ばすという面白い髪形で、アヒルのような口をして歌う彼女のPV(今見たら、笑っちゃうチープさですが、80年代のPVってみんなそうでした)を見ながら、一緒に口ずさんだのを覚えています。
まぁ、歌詞見ながらじゃないととても無理でしたが(笑)
2012年3月9日(金)
東京・渋谷にあるオーチャード・ホールで行われた来日コンサートに行ってきました。
いつだったか忘れましたが、土曜か日曜に家でダラダラしていたら、携帯が鳴ったので見ると友人K美からでした。
「あら、めずらしい」
出れば「これからシンディ・ローパーのコンサートのチケット取るけど行く?」というお誘い。
シンディといえば2011年の震災時、多くのアーティストが来日をキャンセルした中、まだ混乱も収まらない中でしたが、同じオーチャードホールで歌い、私たちを励まし、募金活動までしてくれた人です。
もともと好きな歌手でしたが、そんなこともあって「行く!絶対行く!」と、K美にお願いしました。
オーチャード・ホールには、以前N響のコンサートによく行っていたのですが、久しぶりの訪問でした。
クロークでコートを預け、少し端よりでしたけどなんと前から10列目の席で舞台はばっちり!
登場したシンディのすべてがはっきり見えました。
シンディは、黒のスーツ姿。
最初の曲は、SHE BOP♪で、コンサート全部がほとんど知っている曲だったし、まるで阿波踊り?のようなFUNNY DANCEも健在で、1階客席は総立ちでした♪
私もずっと立ちっぱなしで、終了後は「あんなところやこんなところが痛い」状態(笑)
客席に下りてきたり、色々と歩き回って58歳とは思えない軽やかなパフォーマンスに酔いしれました。
私の斜め前の女性(40代前半くらい?)は、『ゲッ!頚椎やられないそれ?』っていうくらい最初からノリノリで、『ちょっとトシを考えた方が・・・』とかヒヤヒヤしながら見てしまいました。
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↑こんな感じ(笑)
隣の席のおばさんは、もう60代くらいのお上品な感じのおばさまでしたが、1人でいらしていたようで、最後の方は私の顔の前で大きく手を振っていたので邪魔くさくて『やりすぎやで、おばちゃん!』と心で突っ込みを入れてしまったほどです。
若い子もいましたが、まぁ、年齢層は高かったですね。
若いといっても、20代以上でしょうか(全部見たわけじゃないので分かりませんが)。
結構お喋りもしてくれたのですが、途中で自分が若くてまだ売れない頃、「ミホ」という日本人経営のお店で働いていて、そのお店の人が自分にとても良くしてくれたことや、そこに来るお客さんもとってもよくしてくれたとのエピソードを語ってくれました。
シンディのファンなら誰でも知ってるエピソードですけど、もう何年も前の話なのにずっと感謝の気持ちを持っているシンディの優しさに心を打たれました。
でも、それこそがシンディがあの震災があっても日本へ来るのをキャンセルしなかった一因でもあるのでしょう。
「情けは人のためならず」
良いことわざですね。
そして、「おばあちゃんソングだけど、セクシーにアレンジしたの」という意味がよく分からないコメントがあり、ペギーマーチの「忘れないわ」という日本語の歌を(ずっとカンペを見ながら( ´艸`)、歌ってくれました。
しかし、いつまでもすごい声量で、もちろん口パクなんて一切なし。
楽器も弾いたりとシンプルながら充実のステージでした。
アンコールの最後の1曲は、この曲でした。
シンディ・ローパー(Cyndi Lauper、本名:シンシア・アン・ステファニー・ローパー(Cynthia Ann Stephanie Lauper)、1953年6月22日 - ) は、アメリカ合衆国の歌手・女優。グラミー賞、エミー賞の受賞経験があり、1980年代を代表するポップス歌手である。
ーWiki Pediaより引用-
Special Thanks to K美[E:shine]