グレイヘアに移行する人々
数年前、バセドウ病になったとき、頭のてっぺんがごそっと白髪になるという症状が出て、病気が寛解した今も、その白髪はずっと残ったままです。
仕方なく白髪染めのために美容院へ通っていますが、美容師さんからは私の肌質や頭皮への負担を考えて「マニキュアにしておきなさい」と言われ、毎回ダークブラウンに染めてもらっています。
ただ、マニキュアは落ちるのも早く、白髪が集中しているのは頭頂部なので、伸びてくる部分も当然白髪です。
あっという間に白い範囲が広がってしまいます。
いっそのことグレイヘアにしてしまいたいと思うこともありますが、全体的に白髪があるわけではないので、染めるのをやめても綺麗なグレイヘアにはなりません。
それに、若作りをするつもりはありませんが、まだ“すべてが白髪の自分”を受け入れるほどの勇気もありません。
世間では、少しずつですが白髪染めをやめてグレイヘアに移行する女性が増えているようです。
彼女たちは「若さの呪縛から降りたかった」「自然体の自分を好きになれた」と語り、染め続ける手間やストレスから解放されてようやく呼吸ができたと話す方もいます。
特に芸能人やインフルエンサーに関しては、世間の声も「年齢を自然に受け入れていて素晴らしい」という賛同の方が多いような気がします。
染める染めないの選択には、それぞれの事情や思いがあり、どれも尊重されるべきものでしょう。
ただ、街を歩いていると、ときどき思うことがあります。
40代から50代くらいで、肌艶もよく、顔立ちも若々しく、髪を少し染めるだけで“若作り”ではなく、ただ自然に軽やかに見えるのに──と。
大きなお世話だとわかっていても、その人の魅力がほんの少し曇って見える瞬間があり、本人は本当に納得しているのだろうかと考えてしまいます。
グレイヘアを選ぶことも、染め続けることも自由です。
ただ、どちらの選択も「若さ」という一つの物差しだけで語られてしまう今の空気に、私は少し違和感を覚えています。
年齢は単なる数字っていう人もいるけど
日本では、年齢が単なる数字ではなく、その人の行動・魅力・価値を説明するラベルのように扱われがちです。
テレビのニュース番組や街頭インタビューでも、ほとんどの場合、答えた人の年代や年齢が表示されます。
あれは情報というより、「こういう年齢もしくは年代(の意見)ですよ」と視聴者に“解釈の枠”を先に渡しているのだと思います。
その結果、私たちは無意識のうちに「この年齢ならこう振る舞うはず」、「この年齢でこれはおかしい」という“年齢のテンプレート”で人を見てしまうようになります。
つい最近見たデジタル配信のアメリカ映画で「50年後のサマーキャンプ」という作品があったのですが、少女時代にサマーキャンプで仲良しだった女性3人組が、 50年後に同じキャンプ場で集うというストーリーで、その時仲間の1人が他の2人にバイブレーターを渡すというシーンがありました。
登場人物は3人とも立派なおばあちゃんで、さすがに日本のコメディ映画でこのシーンはないよなと思いながら観ていました。
アメリカ映画って、こんなおばあちゃんたちの話でも男性とのアダルトな関係を話題にしたり、まだまだ現役みたいなことを言ってみたりするんですよね。実際はそこまでではないかもしれませんが、映画のワンシーンになるという点は驚きです。
日本のように、年齢が行動の許可証になってしまう文化では、その人自身の魅力や個性が見えにくく、
• 50代だからこうあるべき
• 60代は落ち着いているべき
• 70代はもう人生の終盤(後期高齢者という呼び方がその最たるものです)
そんな“年齢の物語”が先に決まってしまうと、その人が本来持っている幅や可能性が削られてしまうような気がします。
ただ、最近少し変化も見られます。
たとえば、産経ニュースでは 40代以上の中高年向けマッチングアプリが盛況 だという記事が紹介されていました。
若い世代向けのアプリでは気後れしてしまう人でも、同年代限定の場なら安心して参加できるという理由から、利用者が急増しているそうです。
離婚やパートナーとの死別を経て、もう一度誰かとつながりたいと願う人も多く、オンラインでの出会いが“若者だけのものではなくなった”という現実が浮かび上がっていました。
さらに、アプリ内だけでなく、同世代同士のオフ会が活発に行われているという点も印象的でした。
年齢差による遠慮や気負いがないため、自然に会話ができるという声が多く、これまで「中高年の恋愛は控えめであるべき」という空気に縛られていた人たちが、ようやく自由に動き始めているようにも感じられます。
こんなこと書いておいてなんですが、私自身はこのマッチングアプリなるものに1ミリの興味もありません(笑)
極端な振れ幅
グレイヘアの話に戻ると、「年齢の呪縛から解放されたい」という理由で白髪染めをやめる人たちの声についてで、もちろん、それはその人の自由ですし、染め続けることに疲れてしまった気持ちも理解できます。
ただ、実際にはまだグレイヘアが自然に似合う容姿ではない段階で、勢いよく染めるのをやめてしまうケースも少なくありません。
女優の草笛光子さんとか、彼女のグレイヘアスタイルは、とても上品できれいです。
あんな風になったら、素敵だと思うのですが、 40代から50代でグレイヘアになる人で、実際に自然で素敵だなという印象を持った人はほとんどいません(個人の感想です)。
「年齢の呪縛から解放されたい」という、その背景には、ルッキズムによって狭められてきた自分の自由を、グレイヘアにすることで取り戻したいという思いがあるのでしょう。
「若く見られたい」というプレッシャーに長く晒されてきたからこそ、「もう若さに縛られたくない」という反動が強く出る。
その極端な振れ幅の到達点として、グレイヘアという選択があるのかもしれません。
でも、なんだかその点にも少し違和感を覚えます。
結局、“若く見られたい”も“若さから自由になりたい”も、どちらも他人の視線を前提にしているように思えるからです。
若さに縛られるのも、若さから解放されるのも、どちらも「人にどう見られるか」という軸の上にある。私はこれでいいんだ・・・そういうことを他人に表明している時点で、本当に開放なのかどうかがわからなくなる。
その点で言えば、私はもう少し違う場所に立っていたいかな。
私はもともと化粧も最低限だし、容姿がきれいでもないから、若作り願望なんて全くないけれど、今の自分にはまだグレイヘアがしっくり来ないし、染めていたほうが顔の印象が軽やかで、全体のバランスも整う。
だから、誰がどう思うかではなく、自分が髪を染めた方が“調和している”と感じられるうちは染めていたい。
グレイヘアを選ぶ自由があるように、染め続ける自由もある。
そして私は、今のところこのままで行くつもりです。