あじゃみんのブログ

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東電OL殺人事件 ~事件のあらまし~

発端

その事件は、1997年3月8日深夜から9日未明にかけて起きました。

当日の東京は昼間こそ春の兆しを感じさせる陽気だったが、夜になると気温は11℃前後まで下がり、路地に立つとまだまだ冬の冷え込みが肌を刺す季節でした。
京王井の頭線・神泉駅から徒歩数分。ラブホテル街のネオンが途切れ途切れに灯る円山町の一角に、戦後から残る木造二階建てのアパート「喜寿荘」がありました。

外壁はくすみ、周囲の華やかなホテル群に押しつぶされるように佇むその建物の101号室で、東京電力初の女性管理職、渡辺Y子さん(39)が首を絞められ殺されていました。
遺体発見は事件発生から10日後の3月19日で、このアパートのオーナーが経営するネパール料理屋の店長が、部屋から異臭がただよっていたために大家から鍵を預かり扉を開けたところ、無残な姿の彼女が部屋の中に横たわっているのを見つけたのです。

神泉駅のすぐ近くには、日本有数の高級住宅街・松濤が広がっています。
セレブの邸宅が並ぶ街からわずか数分歩けば、ラブホテルが断続的に立ち並ぶ円山町に行き着く――その奇妙な隣接が、事件の舞台をより異様なものにしていました。

まずは、事件の概要を見ていきます。

事件の概要

事件発生日時:1997年3月8日(土)深夜から9日(日)未明
場 所:東京都渋谷区円山町の木造アパート「喜寿荘」101号室
被害者:東京電力本店勤務のOL 渡辺Y子さん(当時39歳)仕事終わりに円山町近辺で売春をしていた。
死 因:首を絞められたことによる窒息死
遺体発見日:1997年3月19日(水)死後約10日 腐敗が進んでいた。
第一発見者:大家経営のネパール料理店・店長(男性、ネパール人)
容疑者:ゴビンダ・プラサド・マイナリ(ネパール人、当時30歳。不法滞在状態で円山町のアパートに共同生活)
この後、ゴビンダ氏は逮捕・拘留された。

裁判の経過

一審(東京地裁):無罪判決
理由:直接的な証拠がなく、状況証拠のみでは有罪にできないと判断。
二審(東京高裁):逆転有罪
理由:「被害者と最後に接触した可能性が高い」「不法滞在で生活基盤が不安定」「供述に不自然さがある」といった状況証拠を重視し、無期懲役を言い渡した。
最高裁:有罪確定
理由:高裁判決を支持し、刑が確定。

2011年:新しいDNA鑑定で「別の男性のもの」と判明。
2012年:再審で無罪確定、釈放。ただし不法滞在だったため即日入管に収容され、その後ネパールへ強制送還。
賠償金は6,800万円(現在の実質価値は約8,000〜9,000万円相当)

エリートOLの光と闇

Y子さんが殺害された「喜寿荘」101号室は、彼女自身が借りていた部屋でした。
しかしそこは生活の拠点ではなく、円山町で客を取るための“仕事場”として使われていたのです。

当時のニュースやワイドショーはこの事件を大きく取り上げ、殺人事件の被害者であるにもかかわらず、彼女のプライバシーを連日報じました。
東京電力で30代にして管理職に昇進した女性が、なぜ古びたアパートで売春をしていたのか――「エリートOLの光と闇」といった感じで、彼女の二重生活はメディアの格好の餌食となったのです。

報道によれば、Y子さんは4人家族の長女で、両親と妹と暮らしていました。
父親とは非常に仲が良く、精神的な支えとなっていたものの、大学2年の時に癌で父を亡くし、そのショックから摂食障害を発症したと伝えられています。
一方で母親とは距離があり、家庭内では「父とY子さん」対「母と妹」という構図があったと報じられました。

このため、父親が他界した後も母親とは距離があり、事件当時Y子さんが10日も家に帰らなかったにも関わらず、母親から警察に捜索願いは出されていませんでした。

有名私立大学を卒業した彼女が選んだ就職先は東京電力。
そこは亡き父親の勤務先でもあり、父は技術系の幹部候補でした。

女性初の総合職として入社した彼女は注目を集める存在でしたが、ハーバード大学への留学選抜に漏れたことや、男性中心の職場環境での孤立感が重なり、次第に精神的に追い詰められていったと報じられています。

その結果、昼は大手企業の管理職、夜は円山町で客を取るという、信じがたい二重生活を送るようになったのです。
報道では「精神的な孤立や自己破壊的な衝動が背景にあったのではないか」と分析され、彼女の生き方は事件とともに世間の好奇心と偏見にさらされることになりました。

理由

報道によれば、Y子さんは円山町の路地に立ち、客を待つ「立ちんぼ」のスタイルで売春をしていました。
アパートの101号室はその拠点であり、客を連れ込むための場所でした。
別の報道では、時間を惜しむように客と外で行為をすることもあったとされ、人目を気にすることはなかったのだろうかと疑問を呼びます。

もし知り合いにでも見られれば、彼女の人生は終わり――そう考えれば、自ら破滅に向かっているとも思える行動でした。

さらに、彼女は自らに「一晩に数人」というノルマを課していたとされ、まるで仕事の延長線上にあるかのように売春行為を日課のように繰り返していました。相手がお金を持っていなくても「1000円でもいい」と言って行為に及んでいたという証言もありました。食事に誘われても「ホテルの方が良くないですか?」と自ら誘うこともあり、相手がそこまで望んでいないことにがっかりした表情を見せたという情報もあります。

こうした行動からも分かるように、売春の目的は金銭ではありませんでした。
彼女は東京電力の管理職として年収約1000万円を得ており、実家暮らしで生活費も少なく、父親の遺産も含めて数千万円規模の資産を保有していました。
経済的に困窮していたわけではないのです。

むしろ、売春は「父を失った喪失感」「職場での孤立」「摂食障害による自己否定感」といった心の空白を埋めるための行為だったと分析されています。
客を取ることは、彼女にとって「自分を追い込む行為」であり、同時に「存在を確認する行為」でもあったのかもしれません。

昼間はエリート社員として周囲から期待され、夜は匿名の女性として欲望の対象になる――その落差の中で、彼女は自分の居場所を探していたように見えます。

結果として、売春は「お金を稼ぐため」ではなく、「孤独や自己否定を埋めるための儀式」のような意味を持っていたと報道は伝えています。

容疑者

Y子さんの遺体が発見され、その状況から殺人事件として捜査が始まりました。
警察は現場となった喜寿荘の周辺に外国人コミュニティが形成されていたことに着目し、重点的に調べを進めました。

当時、日本には多くのネパール人が来日していました。
背景には、ネパール国内で続いていた王政とマオイスト(毛沢東主義派)の対立による政情不安、そして世界最貧国の一つとされる経済状況がありました。
安定した生活を求めて国外へ移住する人が増え、政府が直接支援したわけではないのですが、日本の留学生制度や労働需要の隙間を通じて、ネパール人が集まるようになったのです。

国外に出た人々は、先に来日した人々を頼り、同じ地域に集まることで自然にコミュニティが形成されていきました。
Y子さんが売春のために借りていたアパートの大家もネパール人で、遺体の第一発見者もネパール人でした。
このように、周辺には多くのネパール人が暮らしていました。

こうした環境の中から、ある人物が容疑者として浮上します。

そして1997年5月20日(火)、ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏が強盗殺人容疑で逮捕されました。

逮捕の理由は、被害者と接触した可能性があるという目撃証言や、現場の鍵を持っていたことなどの状況証拠を重視したもので、直接的な物証はありませんでした。
ゴビンダ氏は当時無職で不法滞在状態にあり、その立場も疑いを強める要因となりました。

その後の裁判は次のように進みました。

1997年6月:起訴。
2000年4月14日(一審・東京地裁):無罪判決。直接証拠がなく、状況証拠だけでは有罪にできないと判断されました。
2000年12月22日(二審・東京高裁):逆転有罪判決。無期懲役が言い渡され、目撃証言や鍵の所持などの状況証拠が重視されました。
2003年10月15日(最高裁):上告棄却。二審判決が確定し、無期懲役が確定しました。
2011年:新たなDNA鑑定で、遺体から検出された精液がゴビンダ氏のものではないことが再度確認されました(起訴前にも鑑定は行われていましたが、裁判では十分に取り上げられていませんでした)。
2012年6月7日(東京高裁):再審開始決定。
2012年11月7日(再審判決・東京高裁):無罪判決。ゴビンダ氏は釈放されましたが、不法滞在だったため入管に収容され、強制送還となりました。

実に15年ぶりの帰国でした。

隠ぺい体質

直接的な証拠がないまま状況証拠だけで起訴されたゴビンダ氏ですが、Y子さんの体内からは当初から精液が検出され、DNA鑑定も行われていました。
その結果はゴビンダ氏とは一致しませんでした。

しかし警察と検察は、この鑑定結果を「Y子さんは売春で別の客と性交した後、ゴビンダ氏と会って殺されたのだろう」と解釈し、犯人扱いを続けました。
つまり、DNAが一致しないという事実を「犯人否定の証拠」ではなく「別の客がいたにすぎない」と片付けてしまったのです。

しかも、この重要な鑑定結果は裁判で十分に扱われませんでした。
もし正しく取り上げられていれば状況は大きく変わっていたはずです。
通常であれば、体液の残存状況から性交直後に殺害されたと考えるのが自然であり、この点はゴビンダ氏の無罪を示す決定的な証拠となり得ました。

しかし、警察も検察も「ゴビンダ氏が犯人だ」という前提に固執し、別の可能性を追うことなく起訴に踏み切ったのです。

では、なぜこのような無謀な逮捕劇が起きたのでしょうか。
当時、ゴビンダ氏は犯行現場である喜寿荘101号室の鍵を持っていました。
彼は大家(ネパール人)が経営するネパール料理店の従業員と親しく、そこから鍵を借りて返却せずに所持していたのです。

問題は、その鍵が渡辺Y子さんの借りていた部屋のものだったことです。

当時、大家は同胞のネパール人を中心に部屋を貸しており、管理は非常に緩く、鍵がどの部屋のものか厳密に扱われていませんでした。

さらに1996年暮れ頃、ゴビンダ氏の姉が来日する予定があり、同居していた仲間4人を101号室に移そうと考えていたとされます。

彼自身がその部屋を「空き部屋」と認識していたのかは不明ですが、鍵を貸してもらえた以上、人は住んでいないと思っていた可能性もあります。

この点は裁判でも曖昧なままで、なぜゴビンダ氏が殺害現場である101号室の鍵だけを持っていたのか、はっきりとした説明はつきませんでした。

こうして「犯人は外国人に違いない」という根拠のない思い込みのもと、ゴビンダ氏は起訴されました。一審では「状況証拠だけで犯人扱いはできない」として無罪判決が下されましたが、二審では有罪と判断されます。

二審で重視されたのは、ゴビンダ氏がY子さんの部屋の鍵を持っていたこと、そして「東南アジア風の人とアパートの階段を上がっていった」という目撃証言でした。

さらに、DNA鑑定の結果は十分に取り扱われず、逆転有罪となってしまったのです。

しかし、ここで矛盾に気づいた方もいるでしょう。

Y子さんの部屋はアパート1階の101号室であり、階段を上る必要はありませんでした。
つまり、目撃証言は部屋の位置と食い違っていたのです。
一審ではこの点を踏まえ「証言は曖昧で、被告とY子さんを特定できるものではない」として無罪となりました。

ところが二審では同じ証言が重要視され、曖昧さは変わらないのに「東南アジア風の人」という不確かな目撃証言によって、ゴビンダ氏が犯人と決めつけられました。控訴はしましたが、最高裁でもこの判決は支持され、無期懲役が確定し、ゴビンダ氏は収監されることになったのです。

当時、外国人男性ということで世間には「さもありなん」という雰囲気がありました。
悪いことをするのは外国人だという、根拠のない偏見が広がり、報道もそれを疑う声はほとんどありませんでした。

私自身もセンセーショナルな報道を目にしましたが、正直言って大きな関心はなく「なぜエリートOLが売春をしていたのだろう」と思った程度でした。
報道は被害者であるY子さん側に偏り、逮捕されたゴビンダ氏が本当に犯人なのか、無罪の可能性はないのかという矛盾を追及する報道はほとんどなかったのです。

再審にいたる根拠と結果

ゴビンダ氏は2005年に再審請求を行い、弁護団は「新しい科学鑑定による証拠」を求め続けました。
裁判所も検察に証拠開示と再鑑定を強く要請しました。
これは再審請求の根拠が新しい証拠であったからです。
弁護団は「最新の科学鑑定によって、これまでの判断を覆せる可能性がある」と主張し、再審を認めるには新証拠が不可欠でした。

そして2011年、最新のDNA鑑定によって状況は一変します。

犯行当時のDNA鑑定は精度が低く、人物を特定するのは困難でしたが、技術の進歩によって現場に残された精液や陰毛から検出されたDNAはゴビンダ氏のものではなく、別の男性のものと判明しました。

さらに、被害者の唇や乳房に付着していた唾液の血液型もゴビンダ氏とは一致せず、別の人物によるものと考えられる結果が示されました。

これらの科学的証拠は、ゴビンダ氏の無実を示す決定的な証拠となりました。
2012年6月7日、東京高裁は再審開始を決定し、同年11月7日には無罪判決が下されました。ゴビンダ氏は釈放されましたが、不法滞在のため入管に収容され、強制送還となり、実に15年ぶりの帰国となりました。

参考サイト

日本弁護士連合会「東京電力女性社員殺人事件」
→ 冤罪事件としての経過、再審開始の決め手となったDNA鑑定の詳細がまとめられています。
https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/visualisation/falseaccusation/case7.html
- Wikipedia「東電OL殺人事件」
→ 事件の概要から裁判の流れ、再審確定までの経緯が網羅的に整理されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/東電OL殺人事件
読売新聞社会部によるノンフィクション「東電OL事件 DNAが暴いた闇」
DNA鑑定と証拠開示の問題点に焦点を当て、冤罪が生まれた構造的背景を取材した記事。
https://note.com/imainobu/n/na122255ca3b0