あじゃみんのブログ

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昭和の事件簿 ― 西口彰逃亡劇と映画『復讐するは我にあり』

はじめに

津山三十人殺しを書き終えて、ノンフィクション・ノベルを読むほどではないけど、ちょっとしたネタ的な知識として、昭和の事件を追ってみたいと思うようになりました。
津山事件が農村の孤立を映したのに対し、西口彰事件は裕福な家庭から逸脱した異例の存在。
その落差に興味を惹かれました。

幼い頃に観た映画「復讐するは我にあり」(1979年4月21日公開)は、私の心にかなりな衝撃を残しました。

佐木隆三氏が西口の事件を題材にして書いたノンフィクションノベル「復讐するは我にあり」が原作で、書籍は1976年に第74回直木賞を受賞しました。
タイトルの「復讐するは我にあり」は、新約聖書ローマ人への手紙12章19節の言葉で、復讐は人間ではなく神に委ねよ、という意味を持っています。
つまり「人間の復讐心を抑え、裁きは神に任せるべきだ」という宗教的な文脈で、当時は西口が自分をないがしろにした世間に復讐するための言葉として引用したのかと思っていましたが、佐木隆三氏は、こんな男を調査したという西口を否定も肯定もしないという意味を込めて引用したとキネマ旬報のインタビューで語っていました。
本来は人間は復讐などしてはいけない、神の意思に任せるべきというものといる言葉と実際に殺人を繰り返した西口の人物像を対比させたのかもしれません。

映画は、かなり見応えがありました。
緒形拳さんの迫力ある演技もそうですし、三國連太郎さん演じる敬虔なクリスチャンでありながら、息子の嫁に手を出す道徳観念どうなってるんだという男は恐ろしい人物に見えました。その父親を心のよりどころとしていた倍賞美津子さん演じる西口の嫁も、どうにもならない運命に翻弄されながら、義理の父親と道ならぬ関係になってしまう。
複雑な演技はとても印象に残っています。

たぶん、多くの人が印象に残っているのは、西口の妻が風呂に入っている時に義理の父親も入ってきて、後ろから胸を揉みしだくなんてシーンではないでしょうか。
家族の中に潜む欲望や歪みを象徴するシーンでしたが、私が観た頃は子供だったので、意味もわからず「えぇ~」って感じで驚いただけでした(笑)

この映画は、当時、「日本アカデミー賞最優秀作品賞」など、いくつもの賞を総なめにしました。

映画の中では宗教や家族の歪みが強調されていましたが、実際の西口彰はどんな人物だったのでしょう。

最初の殺人

西口は、詐欺や窃盗という姑息な犯罪を繰り返していましたが、初めて殺人を犯したのは37歳になった時でした。

1963年10月18日(昭和38年)、高度経済成長の波が押し寄せ、日本が東京オリンピックを目前に控えていた時代。福岡県京都郡苅田町で、専売公社の職員・村田幾男(58歳)が集金を終え、運転手・森五郎(38歳)とともに車で帰路についていました。
西口はその車に乗り込み、現金27万円を奪うため二人を襲撃します。

当時の27万円は現在の消費者物価指数で約500万〜700万円に相当し、強盗の動機としては十分大きなものでした。
襲撃方法については「殴打した」という記録があるのみで、実際の凶器は不明です。

映画ではハンマーで殴り殺す場面が描かれますが、これは観客に強烈な印象を与えるための演出だったのでしょう。

二人を殺害し、現金を奪った後に車を乗り捨てて逃走。この事件が彼の「初めての殺人」であり、ここから全国を逃げ回りながら次々と人を殺す連続殺人の幕が開きます。
周囲から「千一(せんいち)」――「千に一つも本当のことを言わない男」と呼ばれていた西口は、嘘つき詐欺師から一気に「戦後最悪の連続殺人犯」へと転じ、日本社会を震撼させる存在となったのです。

浜松事件 ― 母娘殺害

最初の殺人からわずか一か月後、西口彰は静岡県浜松市に姿を現しました。

彼は「京都大学教授」と名乗り、貸席「ふじみ」に宿泊します。

貸席(かしせき)とは、料金を取って時間制で座敷や部屋を貸す営業形態で、会合や食事、遊興の場として利用され、料亭や待合茶屋と同じように「貸座敷」とも呼ばれました。当時は社交や接待の場としても広く利用され、都市の遊興文化を支える存在でした。

女将の藤見ゆき(41歳)と母・はる江(61歳)は、学者風の物腰柔らかな男を疑うことなく迎え入れました。

西口は、数日間滞在し、母娘の信頼を得ていきます。しかし、その滞在は逃亡資金を得るための布石にすぎませんでした。

再訪した西口は、母娘を細ひもで絞殺し、宝石や貴金属を奪って質屋に持ち込みます。

映画では、この母娘を小川真由美(娘役)と清川虹子(母親役)が演じています。劇中では娘が榎津に惚れ込み、匿うことで逃亡を助ける姿が描かれます。母親は競艇に夢中で生活のだらしなさを抱えながらも、娘とともに榎津に翻弄されていきます。榎津が小川真由美演じる浅野ハルを絞殺するシーンがかなり衝撃的でした。なんかこう、エロいんですよ。絞殺されるシーンがなんかエロいって、すごくないですか?

そんな小川真由美さんの妖艶な演技がものとても印象に残っていました。

史実では「信じてしまったがゆえに突然襲われた」母娘が、映画では「愛と欲望の泥沼」に置き換えられ、人間の業を象徴する場面となりました。

東京事件 ― 弁護士殺害

そしてその狡猾さは、東京での弁護士殺害事件でさらに際立ちます。

西口は依頼人を装い、老弁護士・神吉梅松(82歳)を呼び出して信用を得ると、背後から襲いかかり命を奪いました。
現金や弁護士バッジを奪い、遺体をタンスに隠したまま数日間その家に潜伏します。
死体と同じ空間に平然と居続ける異常な神経は、彼の冷酷さを象徴していて恐ろしいです。
普通の神経であれば到底できない、たとえ数日間であっても”死体と暮らす”という異常な行為は、西口の冷徹さを象徴しているともいえるし、単なる”既に4人も殺している”という開き直りの証拠ともいえないでしょうか。

弁護士という「法の象徴」を殺害し、そのバッジをその後の犯罪の偽装に利用したことは、社会に大きな衝撃を与えました。
信頼の象徴が裏切られた事件として、世間に「人を信じることの危うさ」を突きつけたのです。

映画では、この弁護士役を加藤嘉が演じています。
人のいい老齢の弁護士が榎津を何の疑いもなく受け入れてしまい、無残な姿に変えられたのを観て、観客は強烈な不安に襲われます。
警察が現場検証しているシーンが短く挿入されるのですが、タンスの中で死体となったままの演技はかなりインパクトがありました。
この、遺体をタンスに隠した場面は、実際の現場に近いアパートで撮影され、史実の冷酷さを忠実に再現しつつ「閉ざされた空間に潜む恐怖」を観客に体感させたようです。

逮捕劇 ― 熊本玉名での最終幕

東京で弁護士を殺害した後も、西口彰の逃亡は続きました。警察の捜査網は全国に広がり、延べ十数万人が動員される大捜索となりましたが、彼は巧みに網をすり抜け、姿を消し続けます。詐欺師としての口のうまさと変装の狡猾さが、警察を翻弄していたのです。

そして1964年1月2日、舞台は熊本県玉名市へ。西口は「弁護士」を名乗り、教誨師・古川泰龍の家を訪ねました。
古川は冤罪防止活動に取り組む僧侶として知られており、社会的に信頼の厚い人物でした。西口にとっては、東京で殺害した弁護士から奪ったバッジや資料を利用し、弁護士を装って近づけば信用されるだろうと踏んだ格好の標的だったのです。

つまり、古川との間に縁や親交があったわけではなく、すべては偽装と詐欺の計画でした。狙いは一家の資金を奪うこと、そして必要ならば一家皆殺しさえも辞さないという冷酷な計画。家族は彼を疑うことなく迎え入れ、緊張感は極限に達します。
しかし、この場面で歴史を変える存在が現れます。

古川の娘・るり子(当時10歳)。
彼女は新聞に載っていた指名手配写真を記憶しており、目の前の「弁護士」が西口彰であることを見抜いたのです。
るり子は、「あのおじさんは西口彰だ」と母親に言います。
西口を信頼していた母親は、当初疑問に思いますが、るり子の必至の訴えに夫にこのことを話すのです。

古川は、当初やはり「あの人が?」と疑問に思っていましたが、西口が犯人だった場合、家族に危険が及ぶことを考え、まずは西口を歓迎して油断させます。
そして、西口と話すうちに弁護士を名乗っているわりに法律の知識が乏しいことから「そうではないか」と確信していきました。
一旦、信頼したふりをして西口を家に泊めるのですが、翌日慎重に行動しつつ西口のことを警察に通報します。

1964年1月3日に、希代の詐欺師であり殺人犯の西口彰は滞在していた玉名温泉で逮捕されました。

わずか78日間で5人を殺害し、日本中を震撼させた逃亡劇は、少女の「目」によって終止符を打たれました。
***

映画では、ドラマ的な展開のためか、以前西口を客として取ったことのある娼婦が西口に気づいて警察に密告し、逮捕されるという展開になっています。
そして映画のラストでは、榎津が死刑執行された後、妻の加津子と父・鎮雄が遺骨を抱き、山頂から空に向かって散骨する場面が描かれます。
実際には、家族に引き取られた西口の遺体は、散骨されたという記録もなく、どこかの墓地に埋葬されたようです。

姑息な詐欺師から凶悪な殺人犯へと転落した男の生涯が、冷たい風に舞う灰とともに終わりを告げる――史実にはない映画独自の象徴的な演出でした。

まとめ ― 信頼と裏切りの果てに

西口彰事件は、戦後日本における「人を信じることの危うさ」を極限まで突きつけた連続殺人でした。
詐欺師として「口がうまい」「人を安心させる表の顔」を持ちながら、信頼を得た瞬間に裏切りへと転じる。
その手口は、福岡での最初の殺人から浜松の母娘殺害、東京の老弁護士殺害へと続き、最後は熊本玉名で一家を狙う冷酷な計画にまで至りました。

しかし、彼の逃亡劇を終わらせたのは、警察の大捜索ではなく、わずか10歳の少女の「目」でした。
信じる心ではなく、疑う直感が勝利した瞬間に、戦後最悪の連続殺人犯は逮捕され、日本社会を震撼させた逃亡劇は幕を閉じたのです。
史実では、西口は1970年に福岡拘置所で死刑執行され、遺体は火葬の後に家族へ引き渡されました。
淡々とした終わり方でした。

一方、映画『復讐するは我にあり』では、遺灰が風に舞うラストシーンが描かれ、人間の業と虚無を象徴しました。
史実の冷酷さと映画の象徴性が重なり合い、観客に「信頼と裏切りの果てにあるもの」を強烈に印象づけたのです。西口彰事件は、ただの犯罪記録ではなく、「人を信じることの危うさ」と「裏切りの恐怖」を描いた昭和史の一断面でした。


そして映画は、その史実を人間の業へと昇華させ、観る者に深い余韻を残しました。