注:今日は少しネタばれです。
4月29日にカワンさんと「終わりの鳥」を観に行ったのですが、その映画の配給がA24でした。A24は、2012年に設立されたアメリカのインディペンデント系映画配給・製作会社で、ニューヨークを拠点に斬新で芸術性の高い作品を数多く手掛けているとのこと。
たとえば、アカデミー賞を受賞した「ムーンライト」や「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」などの話題作、ホラーやスリラー、ドラマ系など幅広いジャンルの作品を取り扱っている会社です。
結構、個性的な作品が多い印象ですね。
私はあまり制作や配給会社まで気にしたことはなかったのですが、A24が話題になっているのを知り、これまでの作品を知って「なるほど」となっていたのでした。
異端者の家もA24だった
終わりの鳥もかなり個性的な作品で、人の死を1羽の鳥が仕切っていて、死ななければならない人をあの世に送る仕事をしているという面白い設定でした。
ちょっと散漫なところはあり、突っ込みどころがないわけじゃなかったけど、なかなか良い映画でした。ただ、宗教的な部分で既存の神を否定するようなセリフがあり、海外のレビューだとそこにブチ切れていたレビューが面白かったです。
さて、宗教といえば、日本は森羅万象すべてに神が宿るという大雑把な宗教観でおおらかにやっている人が多いですが、個別の宗教の信者となると狂信的な人や団体もたまにいますよね。
この「異端者の家」という映画は、ある宗教の布教に行ったシスターたちが、独自の宗教観を持った男に恐ろしい目に遭わされるというスリラーというかホラー映画でした。
60代になっていい感じに老けたヒュー・グラントが出るというので、実際には何の下調べもせずにチケットを買った私です(笑)
そして、始まった時にA24の配給だと知り、結構期待したのでした。
末日聖徒イエス・キリスト教会
映画に出てきた末日聖徒イエス・キリスト教というのは、俗にいうモルモン教です。
モルモン教は、キリスト教の一派ではありますが、創始者のジョセフ・スミス・ジュニア(1805年12月23日 - 1844年6月27日)が14歳の時に神の啓示を受け、既存の教会はすべて誤りであると告げられたと主張し、1823年、天使モロナイから金板を授かったとされ、それを翻訳して『モルモン書』を出版しました。
これがモルモン教のいわゆるバイブルです。
映画の冒頭で、若い女性ふたりが避妊について話しているのですが、正直いったいこの会話は必要なものなのだろうか?と思っていると後にこのふたりがモルモン教の宣教師だということがわかってきます。キリスト教は、どの宗派も基本的に婚前交渉や避妊は禁じており、現代においてそこまで厳しくなくなったとはいえ、若い女性にとっては「身を守る」という意味で葛藤の対象であることは確かです。
自分ではそこまで信仰心がなかったとしても、例えばレイプされたのに妊娠したら厳格なキリスト教徒の親に堕胎を認めてもらえなかったりということもしばしば話題に上ります。もちろん、自分が深い信仰をしている場合は、レイプされた子供を下ろすことはせず、産んだりするということも聞いたことがあると思います。
そんなこともあって、キリスト教(カトリック)の厳格な信者が多い共和党の強い州では、中絶が法律で禁止されたりなどがあるようです(私からしたら自分をレイプした犯罪者の子供を産ませるとか狂気でしかないですが)。まぁ、もちろんそれだけが中絶の理由ではないですし、自堕落な遊び人が「堕ろせばいい」と中絶するのは許せないみたいな意見もありますが、そんなにたくさんいねーだろってやっぱり突っ込んじゃうのでした。
宗教のいきつく先
この映画は、モルモン教の宣教師2人がモルモン教に興味があり、話を聞きたいと連絡してきた郊外に住むリードという人の家を訪ねたことから、ある妄想に捕らわれた初老の男に地獄のような出来事を経験させられる話です。
宗教を研究し、最終的に「宗教とは支配である」という思想に取り憑かれたこの男は、何も知らずに喜んでやってきた女性宣教師(以降シスターと表記)ふたりをまんまと騙して自分の支配下に置こうとします。
この映画を観ると、カルト的宗教が人を洗脳する手口がよくわかります。
もちろん、それぞれに特徴があると思うのですが、共通している洗脳やグルーミング(信者を獲得し、組織に深く依存させるための心理的な操作のこと)の手口は以下の通りです。
- 親しみやすい勧誘
- 情報の制限と環境のコントロール(孤立させる)
- コミュニティへの依存を強める
- 恐怖と罪悪感の植え付け
- 経済的・精神的な搾取
まさにオウム真理教の手口そのものですね。
ミスター・リードは、笑顔の素敵なきさくなおじさま風に登場します。
雨が降ってきて玄関先で濡れながら話すシスターふたりに入って話したらと誘いますが、異性と単独で対峙することを禁止されているので、女性がいないならここでいいですと断ります。
ミスター・リードは「妻がいるけどそれならいいかな」とにこやかに言い、ふたりを安心させ、また「今はパイを焼いているから、ちょっと声をかけてくる」と言って家の奥に消えていきます。
結局、”妻”の姿を見ないまま、コートをミスター・リードに預け、部屋に入ってしまったふたり。ミスター・リードのたくみな誘導で、知らず知らずのうちに、同性の人がいない限り部屋などに入ってはいけないというルールを破っているのです。
飲み物を持って現れたミスター・リードにとにかく宗教の話をと意気込むシスターを制止ながら、自分がいかに宗教と深くかかわってきたのかを示し、「どの宗教も真実とは思えない」と言い出し、徐々に若いふたりのシスターに持論を展開していきます。
ここまでで、上記の洗脳とグルーミングの手口の2番目までが進んでいます。
実験的な佳作
映画紹介ですので、カルトの手口はこれ以上掘り下げませんが、ミスター・リードはこんな感じで若いシスターふたりを追い込んでいきます。
宗教をゲームに例えたり、モルモン教は以前一夫多妻制を肯定していたのでその話を持ち出して矛盾を突いてきます。
シスターたちは、ミスター・リードが投げるボールを受け、信仰の正しさを証明するために答えようとしますが、徐々にミスター・リードの圧に飲み込まれていくのです。
恐怖心が芽生えたふたりは、スキをついて外に出ようとしますが、玄関は仕掛けがしてあって何をどうやっても開きません。
もう帰るのでドアを開けて欲しいと正直にミスター・リードに頼みますが、「あのドアはタイマー制でうっかり設定し忘れたから開かないんだ」とあっさり言われてしまいます。その後、部屋の奥にある「ふたつの扉のうちどちらかを選び、外に出られるかどうか試す」という流れになるのですが、実際にはそのふたつとも地下につながる階段があるだけで、結局は、監禁されてしまうのです。
そこからどう脱出するか、いや脱出できるのかという状況が観客の前に提示されます。
リードは、終始「宗教は支配である」という思想がベースとなった論を展開していきます。それに対峙したシスターふたりは、自身の信仰を試されているかのごとく、リードの言葉に反応していきます。
ミスター・リードは映画の後半で「きみたちは目の前で奇跡を目にする」と言って、ふたりにある恐ろしいことを見せるのですが、シスターたちは目の前で起こった説明のつかない出来事に驚いたり、疑問を抱いたりしながらもなんとか自分たちの正気を保とうとしています。信仰という一見確かなものは、実際には非常に矛盾を孕む危ういものであること、例えば清貧の誓い(カトリック教会や正教会の修道士・修道女が立てる誓願の一つで、私的財産を持たず、質素な生活を送ること)があるにも関わらず、バチカンの様子などを見ていると非常に権威主義で閉鎖的な印象を受けますね。豪華絢爛な衣装を身にまとった人々を見ると「なにが清貧の誓いやねん」と突っ込みたくなります。
この映画は、自分が神であるかのごとく振る舞う妄想人間とその言葉を受け、信仰について揺れ動くシスターたちの様子を緊張感をもって見続けることになります。
本当は、ふたりのシスターの個性やその個性が彼女たちの運命をどう左右するのかなども掘り下げたいのですが、あまりに長文になりそうなので割愛します。
別にモルモン教の教義について、そこまで深くやり取りがあるわけではなく、基本はスリラーなので、どこかで配信があったりしたら、お好きな方はぜひご覧ください。
ヒュー・グラント
この映画は、ロマコメでおなじみのヒュー・グラントが支配こそ確信という狂気に満ちた人物を演じたのですが、かなり良かったです。
あのヒューが悪役を演じるってどうなんだろうと思ったら、ぞわっとする演技で引き込まれました。
さすがに年齢的にロマコメって感じじゃなくなってきて、普通なら仕事が減りそうなものですが、素晴らしい演技で幅を広げたと言って良いと思います。
異端者の家(Heretic)
2024年11月8日公開(日本:2025年4月8日)
監督:スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
脚本:同上
出演: ヒュー・グラント(ミスター・リード)
ソフィー・サッチャー(シスター・バーンズ)
クロエ・イースト(シスター・パクストン)