あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

ソフト/クワイエット(2022)

※今回は、かなり長文になります。

現時点で、”多様性”という言葉にうんざりしている人は多いのではないでしょうか。

私もその1人で、なぜかというと、本来の多様性というのは、「みんな違ってみんないい」という金子みすゞが詠んだ通りのすべての人を尊重するという意味のはず。

でも、今使われている多様性は、極端にマイノリティだけを尊重するような使われ方で、LGBTQがその最たるものだし、黒人その他人種的マイノリティも今まで虐げられてきたうっぷんを晴らすかのように自分たちの主張のみを繰り返す。

お互い様という考えは、その中に微塵も感じられません。

そして、”優遇されてきた”白人の中にも「白人でいることを恥じる」とか「白人は優遇されてきたのだからマイノリティに譲るべきだ」という自分サゲをする人々まで現れました。

裸同然の下品な身なりでパレードする人までいるLGTBの人々や支援者を見ると、いったいこの人たちは何を目指しているんだろうかと思ってしまいます。

ヨーロッパやアメリカはとにかく行き過ぎていて、就職時にマイノリティ(LGBTQ)へ理解があるかというような文言にサインをさせたり、マイノリティばかり昇進させたり、手術もしていない「お気持ちだけ女性」の男性に女性ロッカーを使うのを許可したり、スポーツの世界にお気持ち女性が参加するのを認めたりと本来の女性が不利益や恐怖を感じるような社会になってしまいました。

今回、トランプ大統領が就任したことで「この世には男性(Male)か女性(Female)しかいない」と宣言し、それに呼応するように、いやその前から企業や各州の決まり事など行き過ぎたDEI(DEI(ディー・イー・アイ)とは、Diversity(ダイバーシティ)、Equity(エクイティ)、Inclusion(インクルージョン)の頭文字をとった言葉で、多様性や公平性を尊重し、誰もが受け入れられる組織や社会を実現することを目指す取り組みを指す)的活動をあっさりと反故にする動きが活発化しています。

日本でもLGTB理解増進法が反対多数にも関わらず、米国民主党(つまり左派)出身のバイデン大統領の思うがままにごり押しされ、岸田前総理は強行に可決してしまいました。

その結果、社会はおかしな方向に行き、自民党の女性スペースを守る議員の会などと自分たちが法案を通したのに「女性スペースを守らなくては」という行動をするというバカらしい動きも出てきました。

こんな当のアメリカにもない変な法律を作っておいて、今さらなにやってんだって感じです。

LGBT当事者の中にも「絶対反対」という声をあげている人も多い。

あるゲイの男性は「生まれてこのかた差別なんてされたことなかったのに、こんな法律ができたせいで人が自分を見る目が変わったのを感じる」(主旨)と投稿していました。政府は声の大きな活動家の意見のみを聞き、まるであたかもみんながそんな思いを抱えているかのうように喧伝しています。つまり、みんな違ってみんないいではなく、一部の声の大きなマイノリティを優遇するという動きになってしまっているから、保守的な人々との間に断絶が生まれてしまっているのです。

そんな事前情報を持って、次からの映画のストーリーを読んでくださいませ。

アーリア人団結をめざす娘たち

幼稚園教師のエミリーは、仕事終わりにある場所に行くために手作りパイを持って歩いていた。教会の2階の談話室に集まったのは、白人女性ばかり6人。

お菓子や飲み物を持ち寄って、普通なら女性たちの茶話会かなにかだと思うだろう。

だが、立てかけてあるホワイトボードに”Daughters for Aryan Unity”(アーリア人団結をめざす娘たち)と書かれているから普通ではない。

しかも、エミリーの持ってきたパイには、鉤十字(ヒトラー率いる国民社会主義ドイツ労働者党のシンボル)の切り込みが入っていた。

アーリア人というのは、1つの人種のことではなく、もともとはインド・ヨーロッパ語族に属する人々の総称で、特徴としては白色で鼻が高く高身長、騎馬戦士として戦車を使って先住民を征服したという歴史を持つ。歴史的な話は他にもあるが、このような特徴を持っていた人々(白人)を優秀な血を引いた人種としてあがめ、ナチス・ドイツでは民族共同体の構成員は「アーリア人」とされ、「非アーリア人」とされたユダヤ人などは迫害・追放、そして虐殺されたという歴史がある。

こんな血塗られた歴史を持つ「アーリア人」の団結を目指す娘たちというのがこの会の名前だとしたら、相当物騒な考えを持つ人たちに思える。

だが、集っている女性たちは、ぱっと見そんな危ない思想を持っているようには見えず、どこにでもいる普通の女性たちだ。

それがちょっと違うぞと気づくのは、この会の主催者であるエミリーが自己紹介を促してみんなが「いいたいこと」を自由に言いはじめた内容を聞いた時だ。

参加者のマージョリーは、当初この会にちょっと引き気味だったが、気にせずなんでも話してと促され、自分のかなわなかった昇進話をし始める。

一生懸命働いてきたのに自分ではなく後から入ってきたコロンビア人(非白人・移民)が昇進し、戦うために上司になぜ自分ではないのかと言ったら、彼女の方が指導力があると言われ、同僚たちも誰も味方してくれなかった。逆差別だと声をあげた私はレイシスト(差別主義者)なの?と訴える。もちろん、周りの参加者は「そんなことはない」というのだ。「多様性だの受容だの、もううんざり」だと主張するマージョリーに「私たちは味方よ」とエミリーが言う。そして参加者も同調する。

映画が投げかけるもの

この映画はワンショットで進んでおり、つまり実際の時間と映画内で起きている時間は一致しているということ。この手法を取ることで、穏やかに見えた会合から、彼女たちがある重大な事件を起こすようになるまで緊迫感を持って観ることができます。

さて、マージョリーのこの発言は、考える余地がありますよね。

実際、マージョリーは、行き過ぎた多様性(逆差別)の犠牲者なのか、それともそう思っているのはマージョリーだけで、実際にはそのコロンビア人の女性の方が昇進に値する人物だったのかもしれない。

いくら多様性だと言っても、他の人が1人も味方してくれないという状況は、実際にマージョリーが同僚から好かれていないのでは?とも思えるし・・・。

そう考えてみたところで、エミリーの次の言葉は、正義感とは程遠い、白人としての本音がよく表れていると思います。

「黒人やメキシコ人はすぐに不満を口にする。白人は酷い、白人はクズだとまで言っても誰にも咎められない。でも、白人が一言批判しただけで”人種差別だ”」と呆れた顔で言うのです。

確かにそういう一面はありますね。

アメリカで言われてきた多様性は、実際単なるマイノリティ優遇にしか見えないし、今まで白人というだけで優遇されてきたのは事実だし、黒人は奴隷として連れて来られたので、市民権を獲得するまで、本当に酷い扱いを受けてきたのです。

もともと白人は他の人種より優れていると実際に思っていた人からすれば、現在の状況はまったくもって納得できない状況なのでしょう。

自己紹介が進むにつれ、他の参加者たちから本音がどんどんと出てきます。

「白人は優秀で長生きだ、助け合わないと。これは事実(FACT)よ」とか「学校が変なことを子供に教えるから自宅教育を始めることにしたの」とか、挙句は「父親がKKK(白人至上主義者の団体)の支部長をしていて、私は生まれた時からメンバーよ」と告白する人までいたのです。そして、だんだんと自分たちの不満の種はすべてマイノリティにあると思っているような口ぶりで怒りを露わにするのです。

実際、この場で語られる内容で「確かにそうだよね」と理解できる事柄もあります。グローサリーショップを経営しているキムは、有色人種の若者が店の前でバカ騒ぎをすることや万引きなどについて怒りを露わにするのです。もっとも理想的なのは単一民族による社会だと、そうすれば国民がひとつになり、市場も正常化すると。アメリカを建国したのは白人なのに今やマイノリティに乗っ取られそうになっていると本音を吐露しました。ほぼ単一民族である日本でも、不法滞在の人々に街を荒らされたりと、そういう問題が起きていますから、他人ごとには思えませんが、アメリカは移民で発達してきた側面もあり、果たして白人だけで今の発展があったのかどうか、これは難しいところです。理解できなくはないところもありますが、結局、和解などという言葉は彼女たちの考えにはまったくないところが闇深いのです。

みんな、白人はもっと団結して本来の古き良き社会を取り戻すのだとこの会の活動について喜びを表現していきます。

ひとしきり話し終わった後で、次のステップ、この会の具体的な活動について話し合うのですが、エミリーは「過激な表現は避けて表面的にはソフトに、そうすればすんなりと受け入れてもらえる。それから静かに浸透していくの」とメンバーに呼びかけます。ですが、この会の議事録をメールで送るといった人に「文字で残さない方が良いのでは?」と言われた途端に声を荒げて「それどういうこと?私たちがこの場でひとつでも法を犯すようなことをした?」とキレたのです。言行不一致そのものです。

結局、多様性の名の下に不利益を被ってきた白人たちも、相手がやったと言っていることを自分たちもするんだという本来の多様性には程遠い思想を持っているだけなんですよ。問題の種はいつも白人以外からもたらされる。

本当にそう思っているのです。

展開

そうやって、アーリア人(白人)としての団結を誓った女性6人ですが、エミリーが席を立った時、別の部屋から出て来た神父と鉢合わせます。

場所的に今までの話を聞かれたと思ったエミリーは、神父に言い訳するべく話しかけますが、神父はそれを遮り「今すぐ出ていけば通報はしない」と断固とした態度でエミリーに言うのです。善の象徴である教会の中で「より良い社会を目指す」話をしていたはずなのに神父は怒りの目でエミリーを見ていました。

エミリーは、「これからうちでワインでも飲みながら話をしない?」と神父から言われたことは話さずにこの場を去るよう誘導します。

用事があると帰る数人とエミリーに賛同して一緒に帰るキム、マージョリー、レスリーはグローサリーショップを営むキムの車で店に行き、エミリーはワインを買って夫の迎えを待っていました。

そこへ、入ってきたアジア人姉妹。

閉店だと追い返そうとしたキムやレスリーに妹の方が反発します。

きっといつもこんな仕打ちをされているのでしょう「言い返さなきゃだめよ」と姉に向かって言うのです。

今までの話し合いでマイノリティへの憎悪の気持ちが高ぶっていたエミリーたちは、その姉妹にひどい仕打ちをし、店から叩きだします。

ここまでで終われば良かったのですが、白人の団結だのと自分自身を煽っていたエミリーたちは、行動がエスカレートしていきます。

 

ソフト/クワイエット(2022)

原題:Soft & Quiet

監督・脚本:ベス・デ・アラウージョ

出演:

ステファニー・エステス(エミリー)
オリヴィア・ルッカルディ(レスリー)
ダナ・ミリキャン(キム)
メリッサ・パウロ(アン)
エレノア・ピエンタ(マージョリー)
シシー・リー(リリー)ほか

※日本公開は、2023年5月