映画「関心領域」を観てから、だいぶ時間が経ちました。
実を言うと「これは書かなくては」と思って書いていたのですが、色々と納得できず、書いては消し、書いては書き直し・・・となって、結局完成しませんでした。
というより諦めたって感じ。
なので、ここではつらつらと指に任せて書いていこうと思います。
関心領域というのは、ヒトラーがユダヤ人や政治犯その他「排除するべき人々」を収容し、強制労働や人体実験を実行し、たくさんの人々を虐殺した場所、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で働いていた人々が住む周辺40㎞のエリアのことを言います。
映画は、アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスとその妻ヘドウィグの暮らしに焦点を当て、人は見たいものを見て、見たくないものは見ないということを表現した怖い映画でした。
ルドルフ・ヘスとヘドウィグは収容所と壁を1枚隔てた場所に住んでいました。
こじんまりした綺麗な一軒家で広い庭にはプールまであり、綺麗な花を植えた花壇や温室がありました。
ヘドウィグは、この家を幸せの象徴として飾りつけ、日々、笑って過ごしています。使用人にユダヤ人を使うなどちょっと考えるとぞっとするほど無神経なのですが、彼らはユダヤ人など人だと思っていないのです。
同僚の奥さんたちとお茶をしながら談笑するシーンがあるのですが、その言葉の端々にユダヤ人を見下す心情があふれていました。
収容されたユダヤ人の持ち物を収奪し、回ってきた洋服や化粧品やアクセサリーを見につけて、当然のように自分の物にしています。
周りには自然が多く、友人家族や子供たちとハイキングに行くこともあります。
自分の家のすぐそばで人をガス室に送り、虐殺している場所があるのにまるで意に介さず、出世した夫と子供たちとの暮らしを満喫していました。
でも、この映画の恐ろしさはそれだけではなく、いわゆる処刑シーンなどの残酷なシーンはまったく出て来ず、音だけでそれを表現しているのです。
壁の向こうから絶えず聞こえてくる”悲鳴”や何かの音。
しかし、そんなものは聞こえないふりをして生活しています。
ヘドウィグは、その自慢の家を自分の母親に見せるため、家に招きます。
綺麗な部屋を与えて生活させていたのですが、母親はどうにも「音」に慣れることができず、当初は褒めたたえた娘の家から何も告げずに出て行ってしまいます。
1枚の手紙を残して。
ヘドウィグが正常な神経の持ち主なら、母のこの行動を理解し、「悪いことをした」と思うかと思うのですが、逆に母親の態度に激怒して使用人に八つ当たりをするのです。
ルドルフはルドルフで、自宅に技師を招いて、焼却炉の新設の話などしています。
人を「荷物」と表現し、いかに効率よく処分するかの説明を受けるのです。
そうやって、一見ふたりとも血も涙もない感じなのですが、実は心の深いところで既に病んでいるのです。
夫婦は別々に寝ていて、スキンシップもありません。
夫は収容所にいるユダヤ人女性と寝て、自分の性欲を満たしていますが、妻に対しては触れることもしないのです。
妻は妻で、今の生活が自分の努力の成果で、それを守るというのが生きる糧になっています。なので、ルドルフが昇進して別の土地に行くと告げた時も「絶対にここを離れない、あなただけで行けばいいでしょ」と強い言葉で夫に言い放ちます。
5人の子供たちは、それぞれに心を病み、その片鱗が生活の中に出ています。
そういう細かいところを見ていくと、この映画の恐ろしさが一層際立ちます。
最後の方に過去と現在が交叉する場面があり、最初は「なんで?」という感じでしたが、今や博物館となったアウシュビッツ収容所と現在進行形で虐殺が行われている収容所を対比させることで、ルドルフに自分の行く末を想像させたのでしょうか。
観終わって1週間くらいは頭の中で反芻して暗い気持ちになった映画でした。
考察を言葉にできず完成しなかったので、ここでは表面的なことしか書いていませんが、別途ユダヤの人を助けようとした人たちのことも描かれていますが割愛しました。
ユダヤの問題は、実は現在進行形でもあります。
ユダヤ人を迫害したのはヒトラーが最初ではないし、ユダヤ人はその宗教性をもって歴史の流れで虐げられてきたのです。
これはユダヤ人がどういう人々なのかというのが分からないと理解できないことです。
そういうことを交えて描こうとしたのですが、さすがに書けませんでした。
もちろん、ルドルフとヘドウィグの会話など知る由もないので、それを含めて全体はフィクションではあるのですが、描かれた出来事などは、監督が数年の歳月をかけて調べた本当にあった出来事を織り交ぜているため、十分にその当時の状況を見ることができます。
配信されたりしたら、ぜひ観て欲しい映画です。