あじゃみんのブログ

ニフティ ブログで連載していた恋するシンガポールの思い出とこれから、そして、いろんなことを徒然に語ります。

エレファントマン 4K 修復版

エビス・ガーデンシネマにて鑑賞した4K修復版のエレファントマンについて書いていきます。映画そのものというよりも、撮影裏話的な内容になります。4K修復版といっても、映画館自体が対応していないとあまり意味がないようでしたけど、エビス・ガーデンシネマは数少ない対応スクリーンだったようで、非常に美しい映像を堪能してきました。

映画「エレファントマン」は、1980年公開のイギリス・アメリカの合作映画で、日本では翌年の81年に公開されています。

実はわたくし、この映画、on timeで観てるんです。うろ覚えですけど、たぶん有楽町の映画館だったと思います。

この辺のことを書くと長くなるので、とにかく映画の話に移りますね。まずは今回の予告編。

 

主人公 ジョン・メリック

この映画の主人公は、ジョン・メリックという実在の青年です。

本名は、ジョセフ・ケアリー・メリックなのですが、映画だから名前を変えたというより、最初はジョンだと思っていたみたいです。

その後、ジョンじゃなくてジョセフだったと分かったようですが、映画を撮ってしまったあとなので、そのままになったそうです。

メリックは、生まれた時は普通の赤ん坊だったのに、2歳頃から体に異変が生じ、どんどんと体のあちこちにこぶのようなものができて変形していき、終生、体が肥大化するという悲劇に見舞われました。彼の病気については、近年の研究でプロテウス症候群とだったと言われています。公立学校を出て就職するも、病気がどんどんと悪化して離職せざるを得なくなり、結局就労不能となって17歳でレスター・ユニオン救貧院に入りました。どうもこの救貧院はひどいところだったようで、後日見世物として働いていた興行師のことを悪く言ったことはなかったそうですが、この救貧院について聞くとひどく興奮して取り乱したそうです。

結局、あるきっかけで見世物小屋の存在を知り、自分で興行師に手紙を書いて雇ってもらったのだとか。その実在のメリックの生涯については、Wikiにも詳しく載っているので、興味がある方は読んでみてください(伝えられている内容について、割と正確に書いてあるようです)。

監督は鬼才デヴィッド・リンチ

公開当時は監督のことなど興味もなかったので、先日観に行ったときにこの映画の監督がデヴィッド・リンチだと分かって相当驚きました。かなり古い映画なので、まさかリンチが監督しているとは思いもしなかったというだけですが、映画が始まって結構すぐに監督の名前がクレジットされたので、思わず「なにこれリンチが撮ったの?」と声を出しそうになってしまいました。

前もっておさらいなど何もして行かなかったので、すっかり忘れていたんです。でも、映画を観るうちに、これはまさにリンチ・ワールドって納得はしましたけど。映画の雰囲気全体がリンチそのものでした。のちのブルーベルベットを想起させるような雰囲気盛だくさんというか・・・。気になっていろいろ知らべていたら、2018年にエレファントマンについてのインタビューされた映像がYouTubeにあったので観てみました。

2作目の作品を完成させるために撮ろうとした作品だった

インタビューの中でリンチが説明したところによると、2作目の映画として、Rony Rocket(ロニー・ロケット)という作品の台本を書いたのですが、映画化にあたっての資金繰りがまったくうまくいかなかったそうです。

万民に受けるとは到底思えないカルト色の強い「イレイザー・ヘッド」を自主制作で1作撮っただけの若干31~2歳の監督ですから、無理もないといえばないのかもしれません。友人でもある映画プロデューサーのスチュアート・コーンフェルドも協力してくれたそうですが、それでもまったくダメ(zero luck)で、途方にくれたそうですが、知名度を上げて資金を集められると考えたのか、それともそれによって得た報酬で映画を作ろうと思っていたのかはわかりませんが(インタビューでもそれは語っていませんでした)、そのために他の人の作品を監督しようと思ったリンチはコーンフェルドに「何か僕が監督できる作品はないかな?」と聞いたところ、すぐに「君が撮れそうな映画が4本ある」と言ってくれて、最初に話したのがエレファントマンだったそうです。

そのタイトルを聞いただけで、「これだ!」と思ったリンチは、すぐにそれを撮りたいと言って、他の3本については聞くこともなかったそうです。自分も含め、コーンフェルドや脚本家らと5つか6つのスタジオに映画のアイデアを売り込んだのですが、まったく相手にされなかったそうです。「こんな化け物映画、誰も見たくない」というのが彼らの返答でした。ヒューマンドラマではなく化け物映画ってとらえられてしまったのは残念でしたね。

メル・ブルックスとの出会い

出だしから躓いてしまったエレファントマンですが、コーンフェルドがその時に有名な監督兼プロデューサーでもあるメル・ブルックスと仕事をしていた関係で、ブルックスの妻である女優のアン・バンクロフトに初期の台本を渡しました。それをとても気に入ったアンは、狙い通り(?)夫に勧めたのですが、コーンフェルドや数人の脚本家など旧知の人はいいとして、このデヴィッド・リンチって誰や?ってことになったようです。それもそのはず、先に書いたようにリンチは当時まだイレイザー・ヘッドというカルトっぽい映画を1本撮っただけの新人監督だったので、知られていないのも無理はないんですよね。

もちろん、コーンフェルドは「イレイザーヘッドを撮った監督ですよ」と話したのですが、「聞いたことも観たこともない」ということで、リンチを参加させるかどうか決める前にそのイレイザーヘッドを観ることになったそうです。

当日、リンチもその場所に呼ばれていたそうですが、彼は中には入らず、試写室の外で待っていました。映画が終わったと同時にドアが開いて、メル・ブルックスが自分のところに駆け寄ってきて抱きしめ、映画を絶賛した上で、エレファントマンに参加することを認めてくれたそうです。

映画にメル・ブルックスのクレジットがないわけ

エレファントマンは、このメル・ブルックスの協力なしではできなかった作品でしたが、映画にメルの名前は出てきません。

それは、メル・ブルックスはその当時すでに有名な監督兼プロデューサーでしたが、自分の撮る映画はほとんどがパロディやコメディだったため、この映画もその路線だと勘違いされたらいけないというので、あえて名前を出さなかったそうです。

確かにいつも自分を大笑いさせてくれる映画を撮った人がプロデューサーだと聞いて、映画名もエレファントマン(像男)だったら、コメディと勘違いされかねないですね。この措置は正解だったようです。

当時、アメリカでは2600万ドル、日本では、23億円の興行成績を収めました。

撮影監督はコイントスで決まった(?!)

映画が作られたのは1980年前後(撮影は1年くらいかかったようです)ですから、当時はすでにカラーが主流でした。でも、このエレファントマンは白黒映画にしようとしていたので、その撮影監督は誰にするかというので、結構選考は大変だったようです。やはり、以前に白黒映画を撮ったことのある人でなければということで探したそうですが、その結果、1960年に公開された映画でアカデミー賞の撮影賞を受賞した「息子と恋人(son and lovers)」の撮影監督であったフレディ・フランシスに白羽の矢が立ちました。ただ、彼は映画監督としても活動し始めていて、撮影監督としての撮影をしばらくしていなかった(つまりブランクがあった)ため、いろいろと話をしていて「別の人も考えた方がいいのではないか」ということになり、リンチのインタビューでは名前は出ていませんでしたけど、もう1人候補になった人がいたそうです。

制作として参加していたジョナサン・サンガーと、最後は「もうコイントスで決めよう!」と言って、表が出たらフレディで裏が出たらもう1人の人と決めてコインを投げ、その時は裏が出たのですが、結局はそれで冷静になったのか「いやいや、この映画はフレディじゃないと!!」ってことになって、撮影監督が決まりました。

名優ぞろいのキャスティング

現在、当時の主要キャストで生きているのは、トリーヴス医師を演じたアンソニー・ホプキンスだけですが、病院長にジョン・ギールガット、看護婦長にウェンディー・ヒラー、メリックを支援していた女優にアン・バンクロフト等々、その他のキャストも芸達者揃いで、世界的に名のある俳優たちが参加したこともこの映画の魅力を高めている要因だと思います。脇役の1人にいたるまで、棒読み演技のアイドルなどはいないし(時代的にもそんな人いなかったでしょうが)、40年経って見返しても、完成度の大半はこの俳優たちの貢献度と一致するというところでしょうか。もちろん、特殊メークでメリックを演じたジョン・ハートの演技力がピカイチだったのは言うまでもありません。

撮影のタイミングも神がかっていた模様

リンチへのインタビューによると、撮影当時はまだメリックが生きていた時代の建物や街並みが数多く残っていたので、スタジオだけでなく、たくさんの場所で撮影が出来たそうです。でも、映画の完成した翌年には、その9割が取り壊されて新しい建物などに代わってしまったので、その時に撮影しなければ、あの映画はあの雰囲気では撮れなかったかもしれないので、これもまた運命を感じますね。

メリックの死因についての考察

映画の最後のシーン(正確には最後より1つ前のシーン)は、メリックが自らベッドの枕やクッションをどけて、普通の人のように仰向けで眠ろうとした結果、最後を迎えることになったと想像できるシーンになっています。これは、トリーヴス医師がのちに著した回想録で、メリックが一度でいいから普通の人みたいに寝てみたいと語っていたことを紹介していて、映画もこの説が採用されたようです。しかし、近年、このメリックについて考察したイギリスのディスカバリー・チャンネルの"Meet the Elephant Man"という番組の中でメリックの死はそのような理由ではなく、純粋な事故死であるとした考察が骨格を観察した整形外科医のAlex Vaccaroによって語られていました。

死の前に撮影されたメリックの写真を見ると、どれも病気によって右に傾いています。つまり、こぶなどが多くできていた体の右側が重くて傾いているため、どの写真も左の方向を見ているように見えるのです。メリックはその体の特徴ゆえに、仰向けで眠ることはできず、ベッドの上で膝を抱えるようにして眠っていて、死の前日も、眠ろうとしたメリックが後ろに置いてあるたくさんの枕などにもたれかかろうとした時、頭の重みで後ろにぐらついてしまい、そうなると喉が締め付けられておぼれたようになってしまったためにもがいたのではないか、そしてそれが原因で頭の重みで首を捻って頸椎を損傷し、酸素が脳に供給されなくなり、息もできずに窒息死してしまったのが考えられる死因だろうとのことでした。まぁ、医者っていうのは現実主義者ですからね、そうそう「他の人みたいに寝てみたかった」なんて説を取るとは思えませんが、日々衰弱して死期を悟っていたメリックが最後の望みを果たそうとしたと考える説も支持したい気持ちはあります。

 

【参考】

David Lynch Elephant Man Interview

Elephant Man Autopsy: Rothman Institute's Dr. Vaccaro discusses the Elephant Man

Meet The Elephant Man: The Death of Merrick