あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

逝く人の気持ち、看取る人の気持ち

YouTubeで、ある僧侶が癌を患い、亡くなるまでのドキュメントを見ました。

その僧侶、田中雅博氏(撮影当時69歳)は、実は医師でもあり、ご自身がずっと末期の患者を看取ることを専門としてきた方でした。

 

その医師自身が末期癌と診断されたとのことで、ある番組ではその田中医師を取材に訪れるのですが、「自分が死ぬまで全部撮ればいい」と言って、撮影を許可されたのです。

 

最初の方では、まだ見た目には本当に病気なの?という感じだったのですが、取材を進めるうちにどんどん進行して、痛みに苦しみ、「今の私は死の割愛です」「死にたいです」とおっしゃっているところも記録されていました。

意識が朦朧としていく中で、気丈だった医師が弱っていく姿は、どんなに人の死を看取ったとしても、自分がいざ死を迎えるとなると素の自分が出るのかなと思った番組でした。

 

その方はご自身が病気で亡くなっていくわけですし、覚悟はできているのですが、考えさせられたのは、「看取る側」の家族のことでした。

田中さんの奥様は、やはり医師なので、自分の夫がこの後どうなっていくのかというのをよく分かったいるんです。

 

まだ体が動く頃は、死を迎えるにあたって、重くとらえ過ぎないようにと夫婦で笑顔を心がけていたのですが、病状が進むにつれ、奥様の「諦めきれない気持ち」というのが行動に現れてきました。

 

中医師は、見ていると「早く楽になりたい」と感じられるのですが、麻酔で亡くなるまで眠らせるという持続的鎮静については、「まだその時期ではない」と奥様はなるべく先にという感じでした。

 

それでも、痛みが酷くなって、麻酔を使うようになるのですが、奥様は「まだ大丈夫なんじゃないか」という思いで、見ているこちらからすると「迷走」ともいえる行動に出たりします。

そんなことしたら苦しむだけじゃないの??という感じなのですが、妻としては少しでも長く生きて欲しいというところから、最後の最後にも、ご本人は「一切延命措置をするな」と言っていたにも関わらず、心臓に注射したりと、ご本人の意思とは逆のことをしてしまったのです。

 

ご本人にしてみれば、辛いだけだと思いますし、同じ医師として夫と長年癌患者を診てきたはずの奥様も、「少しでも」という気持ちで医師の経験というところがすべては反映されなかったってことなのかと思います。

 

私の友人Hのお友達も、再発の末期癌でもう助からないというのが分かっていたのですが、最後に胃ろうをしたんだそうです。胃ろうというのは、体が弱って口から物を食べられなくなった人に腹壁に穴を開けて管を通し、胃に直接薬や栄養物を流し込むことです。

Hは、なんで?と聞いたのですが、「夫や子供たちは“もしかしたら望みがあるんじゃないか”ってまだ思っているから、私を看取る人のことも考えないといけないかなと思って」と話していたそうです。

 

しかし、後から分かったことですが、そのことで苦痛が長く続き、ご主人には何度も「辛いから殺して」と言ったそうです。

ご主人も最後は「こんなことするんじゃなかった」と号泣していたとか。

 

愛する人には、少しでも長くという気持ちも分かりますし、誰も悪くはないのですが、苦痛を長引かせるだけの治療は考えさせられますね。

そんな話をしながら食事をしていた中年独身女3人は、どうやって下手な延命治療などを受けずにさっさと死ねるかという話になり、親ふたりを看取って同世代の友人を2人亡くしているHは「延命治療」ってどこからどこまでというのがないから、本当に細かく「こうなったらこれはしないで欲しい」という要望を書いておかないとダメだよと教えてくれました。

 これから、ちゃんと知識を得て、自分が死ぬ時に無駄な治療がなされないようにしたいと心から思いました。

 

私たちの終わり方―延命治療と尊厳死のはざまで (学研新書)

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