あじゃみんのブログ

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反日韓国に未来はない -なぜ、日本だけが悪者なのか②- 呉 善花(オ・ソンファ)

韓国語を勉強している時に出会った言葉に「パンマル」というのがあります。

これは、日本語でいえば「ため口」のことで、友人同士や親しい間柄の人たちが気楽に話す言葉を意味します。

ある程度親しくても、目上の人などには、語尾に「ヨ」を付けて話すと一種の敬語になります。

 

「オショッソヨ」

 

と人がきた時に言うと、「いらっしゃいませ」という感じのあいさつになりますが、「ワッソ!」というと、友だちに「おっ、来たな」って感じのカジュアルなあいさつになります。

 

語尾に「ヨ」が付いているのは、丁寧な話し方です。

 

もちろん、もっと丁寧な言い方もありますが、とりあえず語尾に「ヨ」を付けるのが無難な話し方で、日本人など韓国語を学ぶ外国人は、いきなり年下だからと相手にパンマルを使って誤解を受けるといけないので、とりあえず語尾に「ヨ」を付けて話した方がいいですよと先生に言われました。

 

基本的に社会が「長幼の序」を説いた儒教の教えの影響を色濃く受けているので、どちらが年上かというのを必ず把握する必要があります。

韓国も以前と随分変わってきているようですが、儒教の教えについては民族的な文化として浸透しているため、話し方を決めるためにも相手の歳は重要なのです。

一番最初に韓国語を教わった女性は、このことをとても嫌がっていました。

また、韓国の場合、中国の孔子を祖とする儒教とはいえ、儒教に名を借りた「韓国独自の感覚を持つ儒教」となっているため、年齢だけではなく、人の優劣のようなことも意識されるそうです。

 

つまり「どっちが偉いか」的な感覚です。
また、人の品定めにも使ったりします。

 

このため、初対面なのに歳だとか学歴だとか家族の仕事など、普通聞くかそんなこと?っていう内容を根掘り葉掘り聞かれることがあり、それが目上の人の質問だと答えなくてはいけないので、先の韓国人女性は、それがとても嫌だとも言っていました。

日本だけではなく、海外生活が長いので、独特の韓国文化をグローバルな視点で見ると、とてもおかしいと感じたようです。

ずっと中国の属国として甘んじてきた朝鮮が、たった36年間日本に統治されただけで、どうして中国は悪くいわずに日本だけ悪く言うのでしょうか。

それは、この儒教の序列と中華主義に準じた小中華主義の考え方が根底にあるようです。

 

中華主義中華思想)というのは、華夷(かい)秩序に基づき、中華帝国を尊崇し、臣下の礼を取る(朝見する)周辺国を「藩属国(はんぞくこく)」とみなして、中華帝国がそれに報いて文化・道徳を与えるという「世界の中心は中国である」という考え方です。

 

古代から、中華帝国は大きな力を持っていましたから、古代の朝鮮半島新羅高句麗百済なども藩属国でしたし、倭国(日本)もみんな臣下として扱っていました。

また、この「中心である中華帝国」から、場所的に遠くなればなるほど、その国は野蛮な夷属の国とみなされていたため、韓半島諸国はその中華主義(思想)を元に倭国は自分たちよりも劣る存在だと考えていたのです。

 

よく自国の歴史教育にどっぷり浸かって柔軟性のない韓国人から、「百済が文化を教えなかったら、日本は今でも土器の国だった」と、いったいどこからその考えって出てくるの?とめちゃくちゃなことを超が付くほどマジメな顔をして言われますが、こうやって中華思想を元に考えると、韓半島からしたら、さらに遠い倭国など「自分たちが文化や道徳を教えてやらないといけない野蛮な国」といえるわけなんですね。

なんとも大きなお世話ですが、そう考えると「なんでそんなに私らには偉そうなの?」という謎が解けました。

 

また、それに長幼の序を基本とする儒教の「どっちが上か下か」というのが絡み合って、中国は兄で日本は弟という感覚になり、中国がやってきた長期間の事柄より、短期間でも兄を下に置いた日本に怒りを覚えるわけです。

なんとも短絡的というか、ある意味おめでたいですが、こうやって考えると「実際にやったこと」というのは、あまり関係ないことがよく分かります。

 

一方、日本としては、飛鳥時代厩戸皇子聖徳太子)も現れ、憲法の制定などで国としての体制も整ってきていましたから、隋に派遣された小野妹子に持たせた煬帝宛ての手紙に「【日出処天子至書日没処天子無恙云々】(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや…)」なんて書いていることから、「こっちも国としてちゃんとしてきつつあるし、これからは対等に付き合いませんか?」という気持ちがあったことが分かります。

 

使者を送って外交活動はしたとしても、倭国はあなたたちの属国になんてならないからというのが、私たちの祖先の意思だったようです。

その後、朝鮮ではそれからも中華帝国に対して臣下の礼を取り続けていきましたし、その感覚で日本のことも「自分たちより下の面倒を見てあげないといけない国」という評価を変えることはありませんでした。

 

勝手に上だの下だのと決めつけられて、なんとも迷惑な話ですが、日本が「私らは皆さんと対等な立場で国を営んでまいります。どうぞよろしく」って意識でいたのに、あちら様はいつまで経っても対等という意識にはならなかったということですね。

ここに日本と韓国の決定的な「感覚の差」が生じています。

 

そして、もっとやっかいなことに、時代が進んで李氏朝鮮の頃にこの考え方はより強固なものとなっていきました。

常に中国を意識していた彼らは、やがて自分たちは「中国と文化的同質性を持った国である」という「小中華思想」が芽生えていきます。

あこがれの人のなにもかもを真似しちゃおうみたいな、ちょっと気持ち悪い感覚かも知れませんが、そうやって自分たちは「正統派」みたいな感覚を持っていたのでしょう。

ですが、その蜜月も長くは続きませんで、尊敬し尽くしてきた明が、蔑視すべき夷族(満州族)によって滅ぼされて清朝が開かれることになったため、もはや正当な中華思想は自分たちの中にしか存在しないと、その「小中華思想」をより強固なものにしていきました。

 

実際には、清国の属国だったわけですが、心の中には「我らこそ中華思想の正当な後継者」という自負を持っていたのです。

この小中華思想は、言葉通りに考えている人は減ってきているとはいえ、言葉云々ではなく、感覚としても韓国人の考え方の根底にあるため、日本を許す気になれないというわけです。

長い長い年月、中国の属国に甘んじていたのに、36年というそれから考えたら「たったそれだけ?」という期間の統治を絶対に許せないのは、自分たちが日本よりも上の立場であり、自分たちより野蛮な国からメンツを潰されたという決定的な要因があるからのようです。

 

だから、歴史認識だの言っているけれど、結局は「自分たちより下の人間に偉そうにされたのは許せない」と、本当にどういうことがあったのかということよりも、「日本は自分たちより下でなくてはならない」という思想から、今の反日意識は作られてきたし、続いているのだと思います。

ですから、少しでも日本を叩く材料になるようなことがあれば、ことさら取り上げて攻撃してくるし、そう考えると昔はそんなことなかったのに・・・という捏造された歴史観も分かる気がします。

こうなったら真実なんてどうでもよくて、とりあえず憎い日本をいじめられればそれで良いという感じでしょうか。

 

だとしたら、歴史の真実はどうかなんて言い合っても、解決なんてしないですよね。

少しでも常識ある人たちが交流し、少しずつ民意とか政治を動かす力になるのを期待するしかありません。

 

人の悪口を言って、幸せになれる人などいないのですから、自分たちに降りかかる不幸は自ら招いていると気づいて欲しい今日この頃です。

 

「反日韓国」に未来はない (小学館文庫)

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