太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
広島上空から、アメリカ軍のB-29爆撃機エノラ・ゲイ号より原子爆弾(コードネーム:リトルボーイ)が投下され、広島は、一瞬にして地獄の焦土と化しました。
広島だけでも年内の被爆死亡者は9万人から12万人と推定されています。
その後の生き残った被爆者の方たちの惨状・受けた苦しみは、言うまでもありません。
広島に落とされた原子爆弾は、ウラン235が約50㎏使用されており、実際にはそのうち1㎏が核分裂を起こしたといわれています。非常に構造が簡単であることから事前の実験は行われず、設計図通りに作られた物が使用されました。
このため、後に広島の被災実態から詳細な計算がなされたそうです。
アメリカは、現在に至るまで広島・長崎への原爆投下は、戦争を早期に終わらせるためのやむを得ない措置だったとして譲りませんが、すでに各所で玉砕状態だった日本軍の状況や、アメリカの情報収集能力を考えると、当時の日本軍がこのまま戦争をし続けることなど不可能であることはわかっていたはずです。
しかも、3日後の長崎市に投下された原子爆弾は、広島で使用したものとはまったく違うプルトニウム型の爆弾でした。
このことを考えると、アメリカがどう言いつくろったところで、原子爆弾の投下は「人体実験」に他ならず、他のどんな言い訳も通るはずがありません。
戦争という特殊な時代のことだと考えたとしても、あれほど残酷な悪魔の兵器を多くの人々を殺すために使用したアメリカは、許すことができません。
ただ、アメリカを恨み続けたところで、平和な社会が実現するわけでもなく、憎しみは憎しみを生み、暴力は暴力を生んでしまいます。
争いごとが起きてしまっては、これだけ多くの犠牲者を出した意味がありません。
私たちにできることは、決して8月6日と9日を忘れないことと、二度と再びあのような悪魔の兵器が地球上のどこかに落とされることがないよう、声を上げ、行動していくしかないと思います。
行動といっても、特殊なことをするのではなく、お互いがお互いの国を尊重し、何人たりとも人々の生存の権利を奪うことはできないという共通の認識を持って生きていくことだと思っています。
原爆・戦争で亡くなったすべての方々のご冥福をお祈りいたします。
I don't know what weapons World War III will be fought with, but World War IV will be fought with sticks and stones.—Albert Einstein
第3次世界大戦でどのような武器が使われるのかは分からないが、第4次世界大戦では、こん棒と石を持って戦うことになるだろう。-アルバート・アインシュタイン