初 恋
島崎藤村
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
懐かしい詩を久しぶりに全部読んでみました。
いえ、別に恋をしているわけではないですよ。
ちょっと前に同僚と国語の授業の話しをしていたんです。
この「初恋」という詩は、中学生の頃に授業で暗唱させられたものです。
その頃、というかそれからもずっとそうですが、愛だの恋だのより推理小説だのホラー映画だのに夢中になっていた私からしたら、「恋の詩の暗唱」なんて地獄だったわけです。
もちろん、人並みに好きな人が出来たりなんてのはありましたけど、元来ロマンチックな性格ではないもので、恋の詩なんてものに胸がキュンとなるなんてまったくなし。
それに、こんな古い言葉で書いてあるものを読んでも、当時はちんぷんかんぷんじゃないですか。
あまり長い時間勉強しなかったと思うので、そう力を入れた授業でもなかった気がします。
性格については、今も読むのは警察小説と推理小説だし、友人いわく「フェロモン・ゼロの女」ですから特に変わっていないのですが、大昔に暗唱した詩を全部ではないですが結構覚えているというのは、ロマンチックとは無縁の私でも、きっと何か心に残ったものがあったのかなと思ったのと、こういう詩を読むと「日本語って本当に美しいな」と思います。
暗唱したほかに習ったことなどきれいさっぱり忘れてしまいましたし、中学生の頃は「初恋を歌った詩」程度の軽い認識で終わった気がします。
でも、今読んでみると思春期の男女のなんだかなまめかしい感じが受け取れて、なんともいえない気持ちになります。
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
これ、自分の吐いた息が彼女の髪にかかっているってことですから、どのくらい近くにいるのかが分かりますし、「吐いた息が髪にかかる」という表現だけで、その距離でいるふたりがお互いを好きでいるというのが分かります。
そして、それが甘酸っぱいりんごに掛けられていると思うと、より切ない気分です。
そうかと思うと、藤村と数歳違いの歌人・与謝野晶子は、「やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」と強烈な言葉でストレートに愛の歌を詠みました。
この歌の入っている歌集・みだれ髪が発表されたのが明治34年(1901年)ですから、当時のインパクトは大変なものだったでしょう。
初恋を収録した若葉集は明治30年発行ですから、面白いです。
恋とか愛と言葉にしてみてもよく分かりませんが、こういう詩や歌になったものを読むと、心に響きます。
これって、私が(本当の)大人になったということでしょうか。
【参考】
初 恋
1897(明治30)年発行:若葉集収録
島崎 藤村(しまざき とうそん)
生年: 1872-03-25
没年: 1943-08-22
「やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
1901(明治34)年発行:歌集・みだれ髪 収録
与謝野 晶子(よさの あきこ)
生年: 1878-12-07
没年: 1942-05-29