あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

人まかせ日本人。

「東北を食べて応援」というCM(?)があり、TOKIOがキャラクターとなっているのだそうですが、それに対してさまざまな批判が寄せられているというのを少し前にニュースとして読みました。

放射性物質に汚染されている「かも知れない」ものを「食べて応援」とは何事かという内容らしいのですが、「選択の権利は自分にある」にも関わらず、なぜこんなことで批判が出るのかが分かりません。

食べたくない、自分の子供に食べさせたくない

だったら、買わなければいいだけの話ではないですか?

強制的に選択肢をなくされ、東北の野菜や果物だけが店頭に並ぶだとか、そんなことは言語道断ですが、スーパーに行っても「欲しい」と思っている私のような者には選択肢がなく、実際のところすぐ手に取れるところに東北関連の食べ物などあまりありません。

別に応援しようと言っているだけで、食べろと命令しているわけではないでしょう?

名前のある人がそういうことに加担?しているということが無責任という意見もあるようですが、ちゃんと検査をして安全となっているものがあるのですから、それを食べて応援しようと言っているのが無責任とは私には思えません。

嫌なら選択しないだけの話です。

想像できるのは、日本人のマインドとして「東北応援のムードの中、食べない買わないでは罪悪感」というのでないかと思うのですが(それだけじゃないでしょうけど)。

でも、嫌なものを強制する権利は誰にもないので、嫌なら嫌でいいじゃないですか。
みんながそうだからというのは、このような場合は必要ありません。

内容にもよりますが、こういう場合は自分がどうしたいか。
それだけでいいのではないですか。

欲しいという方は、インターネットの復興デパートなどで、東北の様々な食品その他を買うことができます。

これから旅行なので控えていますが、美味しそうなスイーツとかおコメとか今度購入しようかなと思っています。

一人暮らしなので、なかなかまとめ買いというわけにはいかず、買っても消費できないと困るので、買えるものは限られていますが、買えるものは買おうと思っています。

私は大人でリスクという言葉の意味も理解していますから、どこに文句を言うつもりもなく、ちゃんと検査されていて、問題ないものであれば何のためらいもなく買うつもりです。

嫌韓運動じゃないですが、嫌な人は選択しなければいいだけの話で、確かにゴリ押しは嫌ですが、そうじゃない場合は「権利は自分にある」というのをもう少し自覚した方が良いのではないでしょうか。

最近は、賞味期限(美味しく食べられる期限で、その日が来たら食べられないわけではない)を1日でも過ぎたら嫌といって捨ててしまうようなもったいないことをする人が多く、昔はすべて「製造年月日」しか書いていなかったので、ニオイなどで自分で管理していたのですが、こんな親切過ぎる表示が出来たために自分で判断するということをやめてしまった人が多くなってしまいました。

世界では十分に食べ物を得ている人よりも飢えている人の方が多いのに、こんなにもったいないことをしているなんて、「もったいない」という素晴らしい言葉がある国なのに不思議でしょうがありません。

表示としては、消費期限というのもあり、これはこの日までに消費した方が良いというものですが、それだって保存方法などの違いでもう少し大丈夫というのもあるでしょうし、もっと早く食べた方がいいというのもあると思います。

でも、これも1日でも過ぎたら何の躊躇もなく捨てる人がいると聞きます(実際にそういうことを話していた知人がいるのです)。

まぁ、自分で買ったものですから、どうしようと自由です。
なので、ことさら意見することはないのですが、賞味期限については「美味しく食べられるかどうかという単なる目安で即捨てるのはもったいないよ」とは言ってます。

聞く聞かないは確認しませんが。。。

また、よくホテルなどの口コミサイトを見ます。
さまざまな情報があって参考になりますが、クレームっぽい内容で「何それ」と思うコメントも数多く存在します。

「そんなの自分から聞けばいいだけの話」なんて内容も「気付いてくれなかった」と文句を言っているのです。
別に恥ずかしい内容でもないし、大の大人がなぜそんなことを自分から聞けないのか・・・。
サービス業って大変だなぁ~と、そんな口コミにも「配慮が足りず申し訳ございませんでした」と返信コメントをしているのを読んで、心底思ってしまいます。
まぁ、商売ですからね「そんなことは自分で聞いてください」なんて、まさか書けませんわねぇ(笑)

とにかく「こうしてくれなかった」「ああしてくれなかった」とまるでエスパーにでもなれというのかのごときコメントの数々。
もちろん、「それは当然そうよね」と共感するものも多いのですが、びっくりしたのは「ご飯のおかわりをしたかったけど恥ずかしくていえず、ホテルの人が声を掛けてくれれば」なんてのまであって、思わず笑ってしまいました。

何杯も頼んでいたのなら恥ずかしいのも分かりますが、文章の内容からそうではないらしいので、なぜ恥ずかしいかも分からないし、お茶碗が空になったら、いちいち「いかがですか?」とか声を掛けられたらうざったくてしょうがないですよ。
ゆっくりお茶を飲ませてくれ!って思うと思います。

最近は、人の精神年齢が幼いのは重々分かっています。
でも、せめて30歳を過ぎた大人だったら、ある程度の判断力があるはずなので、何でもかんでも人に判断を委ねるのではなく、自分で考え選択するような大人の社会を構築して欲しいものです。

それも、なんとなく・・・ではなく、ちゃんとした「○○だから、自分はこう思う」という根拠を持ってお願いします。
精神年齢はともかく、この程度の知的レベルも低くなっては、この国はお終いですからね。