あじゃみんのブログ

美味しいものや、経営する雑貨店のこと、女性の心身の健康について、その他時事ネタなど好き勝手に書いているブログです。

あの日、シンガポールで

駒子の事務所で話を始めるほんの10数時間前まで、美和子は東南アジアに位置するシンガポールに滞在していた。

 

Webデザインの仕事をしている美和子は、5年ほど前に休暇で訪れたシンガポールで偶然同じホテルに泊まった商社マンの高井道隆と意気投合し、シンガポールフリークを公言する高井に色々と連れ歩かれて以来ハマってしまい、それからちょくちょくシンガポールを訪れていた。

 

高井は、その後転職をしてからシンガポールを訪れる機会が減ったこともあって、最近では美和子の方が訪れる回数が多く、目まぐるしく変化しているシンガポールの動向を高井に伝えるのが楽しみにもなっていた。

 

ひとり旅の良さは、フットワークが軽くなることで、普段はあまり出歩かない美和子も異国の地ともなれば最初のうちはあそこもここもと歩き周り、今ではいわゆる「銀座系」のオーチャードロード近辺や、大好きなマリーナ地区だったら路地裏の店まで熟知している。

 

気に入ると何度も同じ店に寄ったりして店員たちとも仲良くなり、なんだかんだと友だちも多くできたりして、今では第2の故郷とまで言うようになっていた。

今回、もう何度目か分からなくなったシンガポールに、いつもと違う理由で来ていた。
高井から、久しぶりにシンガポールに行くので、現地で会いたいというメールが来たのだ。

 

しかも、航空券とホテルにご招待ときては、躊躇している場合ではない。
懐かしさもあり、ふたつ返事で(メールでふたつ返事もないけど)OKした。

 

シンガポールは、正式名称をRepublic of Singapore(シンガポール共和国)といい、立憲共和制国家である。
たった710平方キロメートルという、東京23区とほぼ同じ面積の小さな国だ。

公用語が4ヶ国語であるため、国の正式名称も4種類ある。

 

・Republic of Singapore (英語:リパブリック・オブ・スィンガポー)、
・新加坡共和国(中国語:シンジァーポー・ゴンホーグォ)、
・Republik Singapura (マレー語:リプブリク・スィンガプラ)、
・சிங்கப்பூர் குடியரச(タミル語:スィンガップール・クディヤラク)

 

国名の意味は、サンスクリット語で「ライオンの町」。
マレー語の発音スィンガプラは、この地原産のネコの種類名シンガプーラの由来となっている。

 

この狭い土地にシンガポール人以外も含めると、500万人以上が住んでおり、国土の狭さから、一般庶民はHDBと呼ばれる分譲公営住宅に住んでいるが、コンドミニアムや一軒家に住んでいる比較的裕福な人々も多い。

 

独立前はマレーシアの一部だったこともあり、国語はマレー語となっているが、学校などは英語での教育が行われることが多く、それぞれの民族言語も使われている。

一番数の多い中華系シンガポール人も英語教育を行う学校に通うことが多く、中国語はしゃべれても文字は読めないという人も多い。

 

このようなことから、公用語は英語、マレー語、中国語、タミール語と4ヶ国語となっており、駅のアナウンスなどはこの4カ国語で行われるため、最後のひとことまで聞いていると、「○○にご注意ください」というような内容であるにも関わらず、既に発車していることがある。

 

宗教も、仏教やイスラム教、そしてヒンズー教など、それぞれの民族で信仰している宗教については、信教の自由が認められている。

中華系75%、マレー系14%、インド系9%、その他2%からなる他民族国家で、政府の政策によりそれぞれの文化を保存しながら、争いを避ける意味でも、民族それぞれがある程度固まった地区に集められている。

 

インド街、チャイナタウンというような、その民族の色濃い街がそのままひとつの観光地になっており、国全体が博覧会場のような雰囲気を持っている。

政治的には、事実上の一党独裁体制が続いており、「明るい北朝鮮」という別名や「成功した社会主義国」と揶揄されることもあるくらい、政府の力は強い。

選挙の投票率も毎回約95%という驚異的な数字で、その投票先はほとんどが与党である。
野党も申し訳程度に当選するが、野党に投票した国民は、徴税面、公団住宅の改装が後回しにされるなどの“懲罰”をうけるといわれている。

また多民族国家でありながら、議員のほとんどは中国系で占められているのも大きな特徴だ。

 

もともとは1400年頃にできたマラッカ王国支配下にあった地域で、ポルトガルに占領されてマラッカ王国が倒れた後、逃れた王がマレー半島ジョホールに移ってジョホール王国を建国、シンガポール領域はジョホール王国の支配下となった。

1819年1月、人口わずか150人のこの島に、イギリス東インド会社で書記官を務めていたイギリス人トーマス・ラッフルズが上陸し、ジョホール王国から商館建設の許可を取り付け、名前も呼びやすいシンガポールに改め、都市化を進めていった。

その後シンガポールはイギリスの植民地となり、太平洋戦争時における日本軍の占領を経て、1963年マレーシア建国に伴い州の一部となったが、1965年8月9日分離独立し、シンガポール共和国となって現在に至る。

 

独立国家としては、たった40数年の歴史しかない。

 

経済危機もあったが、近年は年14%程度の成長率を誇り、また観光立国としてさまざまな誘致を行い、狭い国土に何十という中・高級ホテルが軒を連ね、カジノやテーマパーク建設など外貨獲得に余念がない。

このことから、東南アジアの国としては、かなり宿泊代金の高い国としても有名である。

美和子がその時立っていたのは、そんなシンガポールでもちょっと年季の入った老舗ホテル、インターコンチネンタルホテルのフロントデスクの前だった。

他に高級ホテルはたくさんあるのにと言われたのだが、シンガポールにハマるきっかけとなった高井との出会いの場所であり、その頃は毎回このホテルに泊まっていたので、ホテルはどこがいい?と聞かれ、即座に「インターコン!」と返事をしていた。

チェックインを済ませ、急ぐからと荷物を自分で持ったまま、エグゼクティブフロアーへ向かった。

 

用意された部屋は、ジュニア・スイートで、広い部屋にオリエンタルなデザインの調度品。
こんな綺麗な部屋で過ごせるなんて・・・。

 

「高井さん、ありがとう♪・・・だけど、待てよ。高井さんはこのホテルに泊まってるのかしら」

 

チェックインしてから今まで、嬉しさですっかり舞い上がっていたため、肝心のことを忘れていた。

高井の宿泊先を聞いていなかったのだ。

 

たぶん、このホテルに泊まるのだろうと思っていたが、フロントには何もメッセージがないという。

他の客のことは教えてはくれないので、本当はどうなのか分からなかった。
携帯電話の番号を聞いても、海外仕様じゃないから、レンタルしたら連絡すると言われ、美和子から連絡を取るすべがない。

 

「まぁ、いっか。どうせ連絡してくるだろうし」

 

きっとビジネスで成功して、昔懐かしいシンガ友だちを招待してくれたのだろうとのん気に考えていた美和子だったが、実際は、そんな能天気な話ではなかった。

だが、真実が分かるのは、ここからずっと先のことだった。

 

【参考サイト】
外務省 各国・地域情勢(シンガポール
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/index.html

Wiki Pedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB