フォート・カニング・パーク。
シンガポールの創設者であり、イギリスの植民地建設者であるトマス・スタンフォード・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Raffles、1781年7月6日 - 1826年7月5日)がシンガポールに入島し、邸宅を構えたことで知られている。
ラッフルズ卿がこの地を踏んだのは1819年のことだが、この場所はそれ以前からマレー語で「Bukit Larangan(ブキ・ラランガン、Forbidden Hill:禁断の丘)」と呼ばれ、神秘的な雰囲気の場所であった。
シンガポール海峡が一望できるこの高台の場所をいたく気に入ったラッフルズ卿が、自分の住まいを建てるのに、この場所を選んだのも無理はない。
また、ここには英国植民地時代に英国軍が砦として使用し、地下を掘って作った司令部は、現在「The Battle Box」として一般開放されており、見学することができる。
戦争の名残りがここかしこに見られ、ジョギングやデートコースとなっているところでありながら、なんとなく物悲しい風情があることでも有名な場所だ。
歩いていると砲台などの展示もあったりと、あまり楽しい雰囲気の場所ではない。
「外灯って、何の役にも立ってないんじゃない?」
ボーっと外灯に浮き上がった地図の前に立ち、美和子が言った。
「確かに、でも、なるべく懐中電灯は使わないようにね」
「マジ?!」
「あまり光を当てると、逆に集まってくるのよ」
駒子はそういうと、目の前にある階段を上り始めた。
「高井さん、大丈夫?」
自分が一番怖がっているのは分かっていながら、なんとか平静を装おうとして美和子は後ろに立っていた高井に声を掛けた。
「あっ、ああ、大丈夫だよ」
あまり大丈夫でもなさそうな上ずった声で高井が言った。
『良かった、ビビッてるのは私だけじゃないわ』
声のトーンで、自分よりも高井の方がほんの少し怖がっているような気がしたので、なんだか美和子は自分が強くなった気がした。
「置いてくわよ」
下を向いて微笑んでいた美和子に駒子が声を掛けた。
「あっ、待ってよ」
こんなところに置いて行かれたらたまらない。
高井の腕を引っ張って、美和子は進んだ。
「美和子ちゃん、気をつけて」
「大丈夫よ」
普通、このような状況で男性と一緒だったら、嘘でも怖がってみせるものだと思うが、美和子にそういうパフォーマンスなどできるわけもなく、いままで大した噂がなかったのも分かる気がすると、腕を引かれながら高井は思っていた。
『勇ましいもんなぁ』
高井が一度も美和子を女性として見てこなかったのも、こんなところが原因だろうかと、妹の死の真相を知るために来たというのに、怖さも手伝って、どうしてもそんな馬鹿なことを考えてしまう。
懐中電灯に照らされただけの、暗く湿った階段を上がるたび、なんだか足の裏に地面が吸い付いてくるような気がした。
階段を上りきると、駒子が立ち止まってじっと前方を見ていた。
といっても、暗くてほとんど何も見えないのだが・・・。
The Battle Box
戦時中、英国軍の司令部だった場所を展示用に整備して、公開している場所だ。
その小さな建物が、目の前にあった。
展示室は地下にあるので、その建物は受付であり、そこに集った人々がガイドに連れられて地下に下りて行くのだ。
美和子が昼間一度来てみた時は、たいした印象も持たなかったが、暗闇に浮かび上がるのを見ていたら、新しい建物とはいえ、なんだか不気味だった。
「懐中電灯、消してくれる」
「えっ?・・・わかった」
こうなったら、駒子に従うしかない。
外灯はあるにはあるので、真っ暗になることはないのだが、この場所はほとんどその光が届かないため、懐中電灯を消した途端、3人の周りはほとんど闇に包まれた。
『やっぱり来なきゃ良かったかなぁ』
後悔しても、自分ひとりで帰ることもできない。
美和子は観念した。
「・・・・・・?!」
動かない駒子の視線の先を見ると、今までただの暗闇だった場所に明るい光が現れた。
「なにあれ?」
「シッ!行くわよ」
「えっ?行くの?」
びっくりして美和子が聞くと、駒子はそれには応えず、暗闇の中をその光に向かって進んで行った。
すると、後ろに立っていた高井も、その光に導かれるように、まっすぐ光の方向に進んで行った。
「まっ、待って待って!」
自分の声がかすれていることに驚きながら、美和子もふたりに続いた。
光に誘われるままに歩いて行くと、昼間ならきっと休憩スポットとして人々が憩う場所になるであろうベンチのある場所に着いた。
「・・・・聡子」
高井の声に美和子は思わず顔を向けると、光を見つめながら、高井が泣いているのが分かった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ここなんですね、聡子さんが見つかったのは」
駒子が光から目をそらさずに言った。
「そうです・・・ここで、聡子の遺体が発見されました。その・・・ベンチに横たわって」
そういうと、高井はその場に崩れ落ちるように膝をついた。
「高井さん・・・」
顔を手で覆いながら泣く高井の背中をさすりながらも、美和子は目の前の光から目をそらすことができなかった。
人間は慣れる動物だというが、ずっと光を見ながら歩いてきたせいか、なんだか怖いという感情は薄れてきたような気がする。
何しろ駒子は落ち着いているので、自分もしっかりしなくてはと変にライバル心のようなものもあったからだろうか。
「分かったわ」
しばらく経って、駒子が突然独り言のように言葉を発した。
「分かったって、何が?」
もう暗闇にも正体不明の光にも恐怖心がなくなった美和子は、まだ涙が止まらない高井の背中から手を離すと、立ち上がって駒子に声を掛けた。
「・・・今まで、聡子さんと話してたの」
「じゃぁ、あの光ってやっぱり」
「そう。でも、魂とかそういうんじゃないわ。人は死んだら形はなくなる。あの光は聡子さんの心が残した思念の塊よ」
「思念の塊・・・・」
どこかの工学部の教授からは、一笑にふされてしまいそうな言葉だったが、美和子にはなんだか自然に思えた。
「残念だけど、聡子さんはまだあの場所に繋がれたままだわ」
「思いが残っていると、成仏できないってこと?」
「そう、それも相当強い者に縛られてる」
「あの場所に・・・」
「そう、あじゃみんさん、あそこで読経お願い」
「えぇ?あっ、あそこで?」
真っ暗な中でお経をあげるなんて、聞いただけでも涙が出そうだった。
薄らいでいた恐怖心がぶり返して、涙が美和子の頬を伝った。
「・・・・だけど、気持ちを込めないと意味がないわ。何があったのか、私に話してくれる?」
「分かった」
駒子は、初めて目の前の光から目をそらし、美和子の方を向いて言った。
「本当は、この場所が原因じゃなかったの、聡子さんの住んでいた部屋にそれがいたのよ」
「それ?」
「ええ、聡子さんをここまで連れてきて、自分と一緒に闇へ連れて行った異形の者よ」
「・・・・・・やっぱり聞くのやめようかな」
「もう、遅いわ」
少し微笑んだように見えた駒子の顔だったが、それは美和子の錯覚だったのだろうか。。。
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